海馬と初めて身も心も結ばれてから二週間後。予定通りオレは入院をし、視力回復の為の再手術をした。ありがたい事に手術は無事成功し、今は手術の傷痕を癒やす為の入院生活を続けているところだった。
先生からは手術は成功したから安心してくれとは言われたものの、再び暗闇に閉ざされた視界にオレは不安が募っていくばかりだった。手術日から十日程が経ったけど、未だにオレの目は包帯に巻かれたままで、それを外す事は出来無い。大丈夫だとは信じていても、せっかく光や影や色を感じていた視界が暗闇に戻ってしまった事が、オレから余裕を奪い去っていた。
恋人の海馬は、仕事帰りにたまに見舞いに来てくれていた。アイツにはなるべく心配を掛けさせないようにとなるべく明るく応対していたけど、果たしてちゃんと誤魔化し切れているかどうかは自信が無い。笑顔を浮かべているつもりでも、時々自分の頬が引き攣るのが分かるからだ。
海馬はもう、オレに余裕が無い事を知っているのかもしれない。それでもアイツは何も言わなかった。何も言わないで、ただ普通に色んな話をして帰っていくだけだった。オレはそれを…とてもありがたいと思っていた。
今のオレには、本当に余裕という物が無い。気を張っていないと、今すぐにでも泣き出してしまいそうだ。いい年して情けないとも思うけど、こればっかりはどうしようも無い事だった。
こんな情けない姿を海馬に見られるのは嫌だったから、海馬が何も気付かないフリをしてくれているのが本当にありがたいと思っていたんだ。
「………?」
そんな事を考えつつ午後の緩やかな空気にうつらうつらとしていたら、廊下から聞き慣れた足音が聞こえて来た。
オレが入院生活を送っているこの部屋は、海馬の力添えのお陰で個室になっていた。だからオレの部屋を目指してくる人は必然的に限られていたし、視力が効かなくなった代わりに敏感になった聴覚で捉えるその足音は、間違い無く恋人の物だと断言出来た。
でも、こんな昼日中に見舞いに来てくれる事は無かったので、オレはちょっと疑問に思う。
コンコンとノックされる扉に「どうぞ」と声を掛ければ、ガラリと横引きの扉が開かれる。そして「城之内」と名を呼ばれたその声に、オレは自分の予想が的中した事を知った。
「海馬」
声のした方に顔を向けてニッコリと微笑めば、ふっ…と海馬が笑う雰囲気が伝わって来た。
「珍しいな、お前がこんな時間に来るなんて。仕事は?」
「今日は日曜日だからな」
コツコツと足音を立てて近付いて来て、ベッド脇のパイプ椅子に座る海馬にそう声を掛ければ、意外な答えが返ってきてビックリした。
そうか。今日は日曜日だったのか。毎日病院のベッドの上で同じような生活を続けていたから、曜日の感覚なんて完全に無くなっていた。目も見えないからテレビも見ないし、カレンダーだって見ないから全然分からなかった。
掛け布団の上に投げ出していたオレの手に海馬がそっと触れてきて、逆にその手をギュッと握り返すと、袖口の布地がいつもと違う事にも気付いた。確かに海馬はいつも着ているスーツでは無く、普段着として好んで着ている長袖のハイネックのシャツを着ていたらしい。柔らかい布地の感触が指先に心地良かった。
「そっかー日曜日なのか。手術を受けてからもうすぐ二週間になるんだな」
「そうだな」
「となると今週半ばには、包帯取れるかもしれないな…」
海馬の手に触れているのとは逆の手で、オレは自分の目元を探る。指先に触れる感触は包帯の柔らかさだけで、自分の目に直接触れる事は出来無い。それでもオレはそこを何度が撫でて、深く嘆息した。
「ちゃんと…見えるようになってればいいけど…」
オレの言葉に、握っていた海馬の手がピクリと動いた。そしてその手をそっと抜き去り、代わりにガタリと椅子から立上がった気配がして、次の瞬間には優しく抱き締められていた。温かな体温がオレの身体を包み、鼻孔にフワリと良い香りが流れ込んで来る。
海馬はオレの背を何度も撫でながら、「大丈夫だ」と低い声で囁いて来た。
「大丈夫だ。きっと大丈夫だ。医者だって手術は無事成功したと言っていたのだろう?」
「うん…。そうなんだけど、やっぱりちょっと不安で…」
「心配するな。大丈夫だから。お前の目はちゃんと良くなっている。オレも信じているから、お前も自分の事を信じてやれ」
海馬はそう言って、ますますオレの身体を強く抱き締めて来る。その腕の強さに、オレは海馬の内面を感じてしまった。
大丈夫だとオレを励ます海馬こそ、不安に思っているに違い無いんだ。その証拠に、オレを抱き締める腕が細かく震えている。声だっていつもの覇気が無い。それでも目の見えない状態のオレを不安にさせまいと、必死に気張っているのが感じ取れてしまった。
その瞬間、オレの心の中に海馬に対する愛しさが大きく膨らんで爆発する。海馬のその気持ちを素直にありがたいな…と、そして物凄く愛しいと感じたんだ。
「海馬…!」
布団の上に投げ出していた腕を持ち上げて、オレも海馬の細い身体をギュッと抱き締めた。薄い背中を引き寄せながら、海馬の胸に耳を当てる。その途端聞こえて来る海馬の心音に、不安だった気持ちがスッと溶けていくのを感じた。
恋人の心臓の音を聞くだけでこんなに安心出来るなんて…オレは知らなかった。
何だかとても海馬の身体に触れたくなり、オレは海馬の心音を聞きつつ、背中にあった手を前に回して意外に引き締まった腹筋をそっと撫でる。くすぐったかったのか、海馬はピクリと反応したけど何も言わなかったので、オレはそのまま薄い腹部を撫でていた。勿論それだけじゃ満足出来無くなったので、服の裾から手を差入れて暖かい肌に直接触れてみる。するとそこで漸く海馬が反応して身を捩り「こらっ…」と拒否反応を示した。
「城之内…! こ、こんなところでそういう事をするな…!」
普段冷静な海馬の妙に焦ったような物言いに、オレは面白くなって来てクスリと笑ってしまう。
「ゴメン。でも入院生活も長くなってきたし、そろそろお前に触れたいな」
「馬鹿言うな…! ここは病院だぞ…!」
「うん」
「しかもお前は入院しているのだぞ! いくら個室と言っても、そういう事はやめておけ」
「分かっちゃいるんだけどさぁー」
仕方無く直接肌に触れるのは諦めたけど、まだちょっと名残惜しくて、オレは海馬の身体を強く抱き寄せて胸に顔を埋めた。そこで思いっきり息を吸うと、海馬が普段身に纏っているいい匂いが胸一杯に膨らんで、一気に幸せな気持ちになる。
コイツが存在しているだけで、さっきまで感じていた不安が全く感じられなくなるなんて思いもしなかった。それだけ自分が海馬の存在に救われているんだな…と感じ、海馬がオレの側にいてくれる事を心から感謝する。
「城之内…」
服の上からとは言え、あちこちを撫で擦るオレに海馬が情けない声を出した。その声にクスクス笑いながらオレは顔を上げて、「じゃあキスだけさせて」と頼んでみる。
「キスだけ…?」
「そ。キスだけ。本当はお前の身体に触りたいけど、退院するまで我慢するから。だからキスだけさせて。ね、お願い」
そう両手を合わせてお願いすれば、海馬は暫く押し黙ったあとフーッと大きな溜息を吐いた。伝わって来る雰囲気から、どうやら海馬が諦めたらしい事を知る。
「本当に…キスだけなんだな?」
「勿論。キスだけだから」
「………仕方無いな…」
溜息混じりに呟かれた言葉にオレは「やった!」と大袈裟に喜んで、ゆっくりと手を伸ばした。多分この辺に海馬がいるだろうと見当を付けた場所に指先を伸ばし、触れた肩先をしっかりと掴んだ。そしてその肩を引き寄せつつ、もう片方の手で海馬の首筋を撫でる。
くすぐったいのか、海馬がビクッと震えるのに笑いつつ、オレは自分の掌を海馬の細い首筋から項へと移動させた。柔らかい後ろ髪を優しく掻き上げつつ、さっき肩を引き寄せていた方の手を今度は海馬の頬に当てる。親指の腹で柔らかい唇の位置を確認して、そこに向かって自分の顔を近付けていった。
「じ…城之内…っ」
「しっ…。黙って…」
焦ったようにオレの名を呼ぶ海馬を黙らせて、オレはそのまま海馬にキスをした。指先でちゃんと確認していたから、キスは外れずにしっかりと海馬の唇に重なる。薄くて柔らかい海馬の唇を何度も啄むようにキスをして、少し唇が開いたのを見計らって舌を口内に滑り込ませた。
チュク…と濡れた音が、静かな病室に響いて妙に興奮する。
「んっ…!!」
海馬はビクビクと反応しながらも、決して抵抗しようとはしなかった。オレの身体にしがみつき、オレが着ているパジャマをギュッと強く握って震えている。もし今の状態の海馬を見れば、きっと目を瞑って顔を真っ赤にしてるんだろうと簡単に予想は出来たけど、勿論今のオレにその光景が見られる筈は無い。
それを少し残念に思いながらも、熱いくらいに感じる口内を舐る快感に夢中になっていった。
「んっ…ふぅ…」
個室とは言え病院だからか、海馬はいつもよりずっと声を抑えているようだった。身体を緊張で硬くして、フルフルと震えながら必死に快感に耐えている。その様がまたオレを興奮させるんだけど…コイツは分かって無いんだろうなぁ…。
本当はこんな状態の海馬をちゃんと目で見たかったんだけど、それは出来無いから諦める事にする。その代わりと言っては何だけど、空いている手で海馬の身体のあちこちを触って楽しんでいた。
海馬の細い首の後ろを優しく撫でつつ、もう片方の手で形の良い耳の輪郭に触れる。柔らかい耳たぶをフニフニと弄りつつ、人差し指の指先を耳孔に差入れて擽ってやったら、海馬はビクンッと大袈裟に飛び上がって肩を竦めてより大きく震えだした。
「何? どした?」
「やっ…やめっ…!」
一旦唇を離して海馬の口の端から零れた唾液を舌で舐め取りつつ尋ねたら、海馬は震える声で抵抗した。その割りにオレにしがみつく腕は強く、引き離すどころかオレを引き寄せている事に全く気付いていないらしい。
「くすぐったい?」
そう聞くと、触れている頭がガクガクと縦に揺れる。好きな相手を苛めるのはあんまり好きじゃ無いので、大人しくやめてやる事にした。耳から指を引き抜いて、最後に名残惜しげにチュッと軽く唇を吸って海馬から離れる。
離れた後も、海馬は暫くハァハァと苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「ゴメン。ちょっと激し過ぎた?」
そう言うと、海馬はコクリと喉を鳴らして黙っている。多分オレの事を睨み付けているんだろうけど、残念ながら今のオレにはその様子が見えない。
「でも気持ち良かったでしょ?」
「………」
「オレは気持ち良かったけどね」
「………」
「お前は?」
「………」
「ちゃんと気持ち良かった? なぁ…海馬」
「………った…」
「ん? 何?」
「…気持ち…良かっ…た…」
「そか」
その言葉にオレは満足して、ニッコリ笑ってやった。すると暫くして海馬から「この…馬鹿が…」と少し照れ臭そうな応えが返って来たので、もっと満足する事が出来たんだ。
正直に言えば、心に抱える不安が完全に払拭された訳じゃ無い。もうすぐ包帯を取る事が出来るけど、目を開けた時にちゃんと光を感じる事が出来るのか、今まで以上に物が見えるようになっているのか、逆に何も見えなかったらどうすればいいのか…とか、色んな思いがオレの中で渦巻いている。
それでもそんな不安に潰されないでいられるのは、海馬が側にいてくれるからなんだ。
海馬という存在がオレを強くしてくれる。海馬がオレの側にいてくれる限り、オレはちゃんと真っ直ぐ歩いて行く事が出来るんだと、改めて感じさせられた。
「ありがとな…海馬」
海馬が帰って一人になった病室で、オレは自分の目元を覆う包帯に触れながら、誰に聞こえる事も無い感謝の言葉をそっと呟いて微笑んでいた。