41歳の城海前提で、海馬の息子の克人君の一人称です。
父息子の会話って、何かいいよねぇ~w
一年に一度のその日が今年もやって来て、オレは朝から準備をしていた。もう毎年行なっている事だからきちんとした喪服なんかは着ないけど、いつもよりはシックな色合いで上下の服を纏める。ネクタイを締めて上着を着て、用意していた白を基準とした花束を持ってリビングの前を通りかかると、いつものように経済新聞を読みながら珈琲を飲んでいる父の姿が目に入ってきた。
その光景も毎年同じだ。此方のことを全く気にしていないようで、物凄く気にしているのがよく分かる。それを気付かせないようにわざと新聞をガサガサ言わせたり、珈琲を何杯もお代わりしていたりする。
いつまで経っても素直になれない父の姿に、オレは今年も軽い溜息を吐いて肩を落とした。
「父さん、今年も行かないつもり?」
わざとらしく呆れたような声でそう言うと、父はピクリと反応して新聞の横から顔を覗かせる。
「何がだ?」
「何がじゃないよ。今日が何の日で、それでオレがこれからどこに行くのか分かりきってる癖に」
そう反論すると、父はわざとらしい咳払いを一つして、また新聞を読む作業に戻って行った。その明らかなわざとらしさに、オレもいい加減イライラが募って行く。
自分の父親が素直じゃ無いのはもうとっくの昔に知っていたが、ここまで酷いと呆れるしか無い。大体息子のオレにここまで呆れさせるのもどうかと思う。
「一体何に拗ねてるんだよ」
多少イライラしながらそう言うと、父はまたピクリと反応した。暫く身動きの無い父親をじーっと見詰めていると、やがて新聞紙の向こうから盛大な溜息が聞え、ガサリと音を立てて経済新聞が畳まれていく。
新聞紙の向こうから現れた父の顔は、意外にも怒っていなかった。それどころか少しバツの悪い顔をしているのが目に入って来てちょっと驚く。
「別に…拗ねてなどいない」
ふぅ…と小さく嘆息して、父は温くなった珈琲カップに口を付けていた。そしてコクリと琥珀色の液体を飲み下し、カップを丁寧にソーサーに戻しながら視線を落とした。
「拗ねている訳では無いのだ。ただ…彼女に悪いと思っているだけなのだ」
「彼女って、城之内さんの奥さん?」
父の口から出て来た『彼女』という単語に思い当たって、オレは直ぐさま問い掛ける。父はオレの言葉に、ただ黙って頷いた。
「アイツは…城之内はオレのように離婚して独り身になった訳では無い。憎み合って分かれた訳では無く、奥さんの病死による死別だった。もしあの奥さんが生きていれば、今だって城之内と瀬衣名ちゃんと親子三人で仲良く暮らしていただろう。それを思うと…な」
「でも奥さんはもう亡くなっちゃったんだし、城之内さんは結局父さんを選んだんじゃないか」
父の言葉にオレがそう反論すると、父はまた微妙な顔をして溜息を吐いた。
「そうだ。問題はそこだ。城之内はあの奥さんと結婚した時も、オレの事を忘れた事は片時も無かったと言っていた。そして亡くなった奥さんも、その事は最初から知っていて理解していたと…」
「うん。それはオレも瀬衣名から聞いた事があるよ」
今現在お付き合いさせて貰っている恋人の名を口にしながら、オレは父の言葉を肯定した。
オレの恋人の瀬衣名は、父の運命の人である城之内さんと亡くなった奥さんとの間に出来た娘さんだ。
城之内さんの奥さんは、城之内さんが過去の恋人であったオレの父の事を忘れられない事を知りながら、それでもいいと結婚した人らしい。確かに城之内さんは、ずっとこの父の事を想っていてくれたんだろう。でもそれでも城之内さんは奥さんの事を父とは別に愛し、そして短い間だったけれど、この奥さんと結婚出来てとても幸せだったと話してくれた事があった。
今日はそんな城之内さんの奥さんの命日だった。
毎年この日は、オレも城之内父娘に付き添ってお墓参りに参加させて貰っている。いつもよりシックな色合いの服を着て、用意していた白を基準とした花束を持って出掛けるのだ。
オレが墓参りに参加する事を、城之内さんも、その娘である恋人の瀬衣名もとても喜んでくれた。いつも「一緒に来てくれてありがとう」と笑顔で言われ、三人でただ穏やかに市営墓地にある奥さんの墓石を見詰めるのが恒例となっていた。
オレはこの墓参りに、ずっと父を誘っていた。だけど父はその度に首を横に振って断り、いつも経済新聞を読みながら出掛けるオレを見送るだけだった。
更に城之内さんに聞いたところ、その日はどんなに暇でも一切城之内さんに連絡しないらしい。メールも送らないし、逆に城之内さんからメールが着ても返信しない。電話も然りだ。
だからオレはずっと、父は拗ねているのかとばかり思っていた。自分の今の恋人である城之内さんが、亡くなった奥さんを想うその日を疎ましく思っているんだとばっかり思っていたのに…。
どうやら父のこの態度によると、オレの予想は外れていたらしい。
「あの奥さんが前の恋人の存在を忘れられない男を選んだのは、本人の選択だから仕方が無い。だが…思いがけない病で命を奪われ、愛する夫と娘と引き裂かれ、更にオレの存在によって彼女の思い出が薄くなっていくのが許せないのだ」
「薄くなってるとは思わないけど? 城之内さんも瀬衣名も、普段ひょっとした事から亡くなった奥さんの話が出てくる事はよくあるじゃないか」
「それは…そうだが…」
「考え過ぎじゃないの? 何で父さんがそんなに罪悪感を背負い込まなくちゃいけないんだよ」
「………」
オレの言葉に父が一瞬黙り込む。やっぱり父は、城之内さんとよりを戻した自分の存在に、少し罪悪感を持っていたらしい。
「それでも…」
暫く黙り込んだ後、父はボソリと口を開いた。
「それでもこの日ばかりは…あの奥さんに城之内を返してやりたいと思うのだ。普段は寂しい思いをしているであろう人に、この日ばかりは何の心配もさせずに愛する人達と一緒に過ごして欲しいと。城之内も今日ばかりはオレの事を忘れて、亡くなった奥さんの事だけを考えて欲しいと…そう思って」
なるほどね。そういう事か…と思いながら、オレはますます呆れていった。
父は優しい。確かにそう思うのは、相手の事を思いやって無いと出て来ない言葉だ。でも惜しむらくは、父の考えはちょっと捻くれているって事なんだ。
「あのさ、父さん。城之内さんの奥さんって、城之内さんが父さんの事をずっと忘れずにいるのを知っていて結婚してくれたんだよな」
オレがそう言うと、父は目を上げてオレの顔をじっと見詰めた。そして「そうだ」と頷く。
その返事を耳に入れて、オレは「それじゃあさ」と話を続けた。
「そんな心の広い女性が、後から再縁した人相手にそんなつまらない嫉妬すると思う?」
呆れたようにそう言ったら、父は目を丸くして慌てて首を横に振った。
「ち、違う! オレは実際あの奥さんに会った事は無いが、彼女がそんなつまらない嫉妬をするような女性で無い事だけは分かっているつもりだ!」
「でも父さんが言ってる事ってそういう事でしょ? 普段は自分が居て寂しくて嫉妬してるだろうから、命日だけは城之内さんを返してあげようと…」
「だから違う! 嫉妬じゃなくて寂しがっているんじゃないかと…!」
「同じ事だよ。父さん、あんま城之内さんの奥さんを舐めない方がいいよ」
オレは父親に反論しながら、毎年お墓参りの時の恋人の様子を思い出していた。
母親の墓石を目の前にしながら、瀬衣名はいつもフワリと嬉しそうに笑ってこんな事を言うんだ。
『私は本当にあの世があるのかどうか分からない。特別な能力とかがある訳じゃ無いから、幽霊とかも見た事無いし不思議体験もした事無いしね。でもね、何となく分かるの』
オレが『何が?』と尋ねると、瀬衣名はますます笑みを深くしてこう言った。
『パパが今物凄く幸せな事を、ママが誰より喜んでくれてるって分かるんだ。だって親子なんだもん。ママが死んだって、その想いは私に伝わって来るのよ』
『それって…ウチの父さんの事?』
『そうよ。パパが一番幸せな事って、海馬のおじさま以外に有り得ないもの』
『自分の旦那さんが取られちゃってるのに?』
『ママはそんな風には考えないわ。何よりも誰よりも、パパの幸せの事だけを願ってきた人なのに、そんなつまらない事考えたりする訳無いもの』
『瀬衣名…』
『ママはパパが大好きなの! そしてパパを大事に愛してくれる海馬のおじさまの事もきっと大好きに違い無いわ! だからパパとおじさまには、もっともっと一杯幸せになって欲しいのよ。死んだママの為にも…ね』
そう言って隣に立っている城之内さんに、『ね、パパ』と言って瀬衣名は本当に綺麗に微笑んでいた。
「だからね。城之内さんの奥さんは、そんなつまらない事を気にするような人じゃ無いんだよ。むしろ父さんがそんな事を気にし続けている事を悲しんでいると思うんだけどな」
すっかり冷め切った珈琲の入ったカップを、手持ち無沙汰気味に持つ父にオレはそう言ってやった。その言葉に父はもう何も言う事が出来ず、ただカップの中の琥珀色の液体を見詰めている。
促す意味を込めて、もう一度「父さん」と声を掛けてみる。すると父は冷め切った珈琲をグイッと飲み干し、その場で立上がった。
「喪服は? 着なくてもいいのか?」
カチャンとカップをソーサーに置くのと同時にそう言われ、オレは慌ててコクコクと頷いた。
「う、うん。いつもより地味な服装だったら別に何でもいいよ。法事とかじゃなくて、ただのお墓参りだし…」
「そうか。今から準備するから少し遅くなると連絡しておけ」
そう言いきると、父はスタスタとリビングを出て自室に向かって歩いて行く。その後ろ姿を見送りつつ、オレは自分がにやついた笑いを浮かべている事に気付いた。何とか笑いを収めようとしても、その笑いはなかなか治める事が出来無かった。
「マズイなぁ…。凄い嬉しいんだけど」
誰にも聞こえない声でそんな独り言を言って、オレはポケットから携帯電話を取り出して恋人宛にメールを打ち始めた。
多分このメールを見たら、恋人は大喜びするだろう。そしてそれ以上に、父の恋人が喜ぶに違い無い。
『オレ…いつか海馬にコイツの墓参りに来て欲しいって思ってるんだよ。お前のお陰で今はこんなに幸せなんだって、ちゃんとコイツに伝えてやりたいんだ』
お墓参りの度にそう言っていた城之内さんの寂しそうな笑顔を思い出しつつ、今年はその笑顔が本物の笑顔になる事を嬉しく思い、オレは送信ボタンを押したのだった。