*無限の黄昏 幽玄の月(完結) - 黄昏の入り口 - *第十一夜(※グロ注意!)

※この第十一夜の中には、非常にグロい表現があります。食人、血、悲鳴等が苦手な方は、十分注意して御覧下さい。

 




 泣いている…。
 彼が…泣いている…。
 食人鬼としての宿命に勝てず、押さえきれない飢餓にずっと苦しめられてきて泣いている。
 けれど…今回はきっとそれだけでは無いのだろう。
 彼を私と同一視しているお前にとって、あの身体を食べなければならないという事実は、余りにも酷な運命だ。
 それが一体、どれ程の苦しみを彼に与えるか…想像も出来ない。
 今だってほら、こんなに辛そうな顔をしているのに…。
 それでもなお、お前は涙を零そうとはしない。
 苦しさを、辛さを、そして悲しみを胸に秘め、鬼として笑ってみせるのだ。
 それがとても…哀しいと思う…。

 




 鳥居の向こうに日が沈み、辺りはすっかり暗くなってしまった。
 日が完全に沈んだのを見届けて、海馬はマヨイガが用意してくれていた風呂にゆっくりと入っていた。そして身体が温まった頃に風呂から出て、身体の水気を拭いて単衣に腕を通す。帯を締め、普段は腰に着けている鈴の入った白い守り袋を手首に巻き付けた。
 腕を降ろすと、チリリ…と軽やかな音が鳴り響く。
 その音を聞いて、そう言えば暫くせとの姿を見ていない事を思い出した。
 この贖罪の神域に足を踏み入れて、まず最初に目の前に現れた人物。悲しそうな顔で心から城之内の心配をしていた。現世にいた頃、度々見ていた白昼夢も見ていない。
 見限られた訳では無いと思う。多分、自分が思っている事やとっている行動が間違っていないからなのだろう。

 チリ――――――ン………。

 そう思って顔を上げた時、耳慣れた音が辺りに響いて消えた。
 周りを見渡しても姿は見えない。けれど海馬には、それがせとの返事のように思える。

「そんなに心配するな。誰に何と言われようとも、オレがアイツを救ってやろうという気持ちに変わりはない」

 誰もいない空間で一人静かに呟くと、海馬は本殿に向かう為に踵を返して玄関に向かった。


 夜になった為、空はいつも通り澄み切っていた。けれど、どんなに見上げても月はどこにも見当たらない。冬の星座がキラキラと美しく瞬いているだけだ。
 日が沈んでから、体調は一段とおかしくなっていた。
 身体の中心が燃えるように熱く感じ、鼓動もいつもよりずっと早いような気がする。頭も熱に浮かされたようにボーッとして、いつものようなクリアな思考が出来ないでいた。真冬の外気は身体の芯から凍える程なのに、身体全体が火照っている為に寒さもそんなに感じない。
 ジャリジャリと小石を踏みながら本殿へ近付き、履き物を脱いで階に足をかける。そしてゆっくりと段を上がり、ピッタリと閉じられた扉の取っ手に手をかけて、ゆっくりと開いていった。
 本殿の中は灯りが点っていて明るかった。キィ…という扉が開く音に、祭壇の前にいた城之内が振り返りこちらを見据えてくる。その右手が祭壇に祀られているせとの頭蓋骨に優しく触れているのを見て、ズキリ…と心臓が痛くなるのを感じた。
 何故そんな気持ちになるのか分からなかったが、これから自分を食するというのに他に気をとられている事が気にくわなかったのだという事にして、心を無理矢理落ち着かせる。
 キッと睨み付けるように立っている海馬に目を留めた城之内は、ニヤリと笑って祭壇の前から離れて歩き出した。

「来たか」

 そう一言だけ発せられた言葉に、頷く事で返事を返す。
 海馬の返事を確認した城之内はそのまま奥に歩いていって、突き当たりの壁の端に手を当ててその場所を少し押した。すると、そこにあった壁が横にクルリと半回転する。

「隠し扉…?」

 驚く海馬に城之内は目配せで合図を送り、そのまま中へと入っていった。慌ててその後ろ姿を追いかけて壁の中を覗くと、足元に四段程の石段があり、先の部屋は半地下状になっている。
 石で組まれた薄暗い小さな隠し部屋。その中央にポツンと立ち尽くす城之内を見付けて、海馬もそろりと一歩を踏み出した。

「っ………!」

 その途端、海馬の鼻孔を噎せ返るような鉄の匂いが襲った。慌てて袖で鼻を覆っても、その強烈な臭いは肌からさえも染み入ってくるようだ。
 良く見ると、石畳の床はあちこちに黒い染みが出来ている。特に部屋の中央が酷い。どす黒く、何かの液体をぶち捲けたような染みが放射線状に広がっていた。

 この悪臭とその染みの正体が何かなんて、考えたくも無い。

 そう思ってその場で立ち竦んでいると、城之内がゆっくりとこちらの方に顔を向けた。そして掌を差し出して「こっちへ」と命令する。
 覚悟はしてきた筈なのに、迷いも捨てた筈なのに。身体はまたいつの間にか恐怖でガタガタと震えている。痙攣する足を叱咤して、海馬はそろりと石段を降りていった。そして石の床の冷たさを感じながら、一歩一歩城之内に向かって近付いて行く。
 目の前まで辿り着いて、差し出された掌に自分の手をそっと載せた。その途端、指先から感じた熱に驚いてしまう。

「なっ…? 熱い…?」

 城之内の体温は、いつもは氷のように冷たかった。けれど今はまるで発熱したかのように熱い。自分の体温も今日はいつもより熱い筈だったが、今指先から伝わる温度はそれ以上だ。
 そして他にも色々といつもと違うところがあるのに気が付いた。
 爪が…長く鋭くなっている。口元から見える牙も、いつもより鋭さを増していた。琥珀の瞳も、いつも以上に獰猛な光を称えている。
 驚く海馬を間近で見詰めて、城之内は口角を上げてニヤッと笑いながら口を開いた。

「今朝…、何故欲情なんてするのかって顔してたな。ちゃんとした理由、教えてやろうか?」

 炎のように熱い掌で細い手をギュッと掴まれ、海馬は城之内の方に強く引き寄せられた。思わず蹌踉めいた身体を受け止めて、城之内は耳元で囁くように言葉を発する。

「それが黒龍神の慈悲だからだ…。オレに食われる痛みを、快感で紛らわしてやろうっていうのさ。だから欲情する。いつも以上に快感を受け止めやすくなってるんだよ」
「っ………!」

 そう言いながら城之内は首筋に唇を寄せ、熱い舌で滑らかな肌をべろりと舐めた。途端にゾクリと背筋を走った快感に、海馬はビクッと反応して呻いてしまう。
 ほんの少し首筋を舐められただけなのに、身体全体が快感で満ち溢れていく…。
 立っていられなくて、城之内にしがみついて半ば寄りかかるようにしていると、シュルリと帯が解かれ白絹の単衣を肌蹴られて地面に落とされた。露わになった白い肌に熱を持った掌を這わせながら、城之内は耳元での囁きを続ける。

「初代の贄の巫女はな、こんな快感なんて感じなかったんだよ。痛くて苦しくて辛いのをずっと我慢しながら、ただ黙ってオレに食われていた。だから『彼女』は黒龍神に願い出た。せめて次の巫女からは、痛みを紛らわす術を与えてやって欲しいとな。その結果が…これだよ」
「んっ…! はぁ…っ」

 サワサワと胸から腹部にかけて優しく撫でられ、それだけで海馬の脳裏が快感で一杯になっていく。先程のような恐怖ではなく快感で膝がガクガクと震え、城之内に縋っていないとその場に座り込んでしまいそうだった。

「オレに犯されながら食われる…。それが贄の巫女の本当の役目だ」
「あっ…ぅ…っ! じょ…のうち…っ」
「海馬」

 ブルブル震えながら鬼の名を呼ぶと、その声に城之内はピクリと反応した。そして今までのようなからかい混じりの声ではなく、至極真面目な声で海馬の名を口に出した。抱き締められている為に顔は見えないが、多分あの琥珀色の瞳は真剣な色を称えているに違いない。
 震える背中を片手で撫でながら、城之内は海馬の耳元に深く囁いた。

「いいか、海馬。今掴んでいる快感を手放すな。もう少しゆっくり説明してやりたいけど、オレの飢餓もそろそろ限界だ。今からお前を食うけど…何が何でも快感に縋っていろ」
「城之内…? 一体…何…言って…」
「もう何も言うな。黙っていろ」
「何…が…。っ…! ひっ…っ!?」

 一瞬何が起きたのか分からなかった。
 耳元でガリッと音がして、首筋が一気に熱くなっていった。何か生温かい液体が首から肩にかけて大量に流れ落ち、身体を伝って地面に落ちていくのが分かる。それは冷たい石畳に染み込んで、新たな黒い染みとなっていった。

「あっ…! あっ…あっ…あぁっ…!!」

 深く牙を穿たれ首筋の肉を噛み千切られ、傷付いた頸動脈から大量の血液を噴出しながら、海馬は漸く自分が城之内に噛みつかれたのだという事を理解した。激しい痛みを訴えるその場所を押さえようと手をあげれば、手首に巻き付けた守り袋からチリンッ…という鈴の音が響く。震える手で噛み千切られた首筋を押さえると、白い守り袋はあっという間に紅く染まっていった。
 痛い…。いや、痛いなんて生易しいものでは無い。余りの激痛に気を失う事も出来ない。
 それなのに…。反対側の首筋に優しく吸い付かれて、震えが走るほどの快感を感じていた。

「快感を手放すなって言っただろ」

 城之内がそう言ってくるが、海馬はただ震え続ける事しか出来ない。フルフルと力無く首を振りながら、必死で目の前の身体にしがみつく。紅く染まった守り袋の中から、チリリリ…とまるで鈴が震えているような音がした。その音を気にしながらも、城之内は海馬の身体を支えながら、薄い腹部を撫で回していた掌を鳩尾の辺りでピタリと止めた。そして長い爪を滑らかな皮膚に引っ掛けるように立て、次の瞬間、力を入れて皮膚を突き破り内部へと抉っていく。

「うっ…ぁ…っ…あああああぁぁぁぁぁぁぁっ――――――――――――っ!!」

 今まで感じた事の無い、形容しがたい激痛が海馬を襲った。腹部の傷から流れ出た大量の血液が、パシャパシャと石畳の上へと落ちていく。
 目を見開いても、その目にはもう何も映らない。眦から涙をボロボロと流しながら、ただ絶叫する事しか出来なかった。
 城之内はガクガクと痙攣する海馬の身体を支え、足元の血溜まりの中にその身体を横たえた。そして完全に開ききった腹部の傷に手を突っ込んでいく。

「ひぐっ…!! くあ…ぁ…っ!!」

 城之内の手によって、自分の身体の中から何かがズルリと引き摺り出された。それが何であるかなんて考えたくはないし、考えられもしない。クチャクチャと何かを咀嚼する音が聞こえるが、それを見る勇気も無かった。

「ふぁ…っ。あ…あぁ…あっ…あ…」

 痛かった。痛くて苦しかった。激しい痛みに呼吸も出来ない。思うように息が吸えない。大量の出血で身体は急速に冷えていって、痙攣が止まらない。
 早く気を失って楽になりたいのに、妙に意識がはっきりしている事がまた海馬を苦しめていた。
 多分…食人鬼の飢餓というものは、人間を食するだけでは満たされないんだという事に海馬は気付いていた。
 血と肉と…恐怖と悲鳴。それらが揃って、初めて飢餓が満たされる。だから意識を失う事が出来ないんだと…海馬は頭の片隅で冷静に考えていた。
 それと同時に、自分の身体にも異常が起きている事を感じる。
 こんなにも痛くて苦しいのに、身体は快感を求めていた。城之内に触れられ傷付けられる度に、身体の中心に快感の熱が点り背筋を伝わって脳天まで届いていく。

 もっと…もっと…。もっと触って欲しい。もっと傷付けて欲しい。もっと…犯して欲しい。

 いつの間にか頭の中はそればっかりになっていた。
 痛みと快感に翻弄され、身動ぎする度に石畳の上の血溜まりがビチャビチャと音を起てる。噎せ返るような血の臭い。他の誰でもない…自分の血の臭い。
 胸を腹部を切り裂かれ、長い爪で内部を抉られ、血を啜られ肉を噛み千切られ、内臓を食われ骨を囓られ…。最早悲鳴すら出せずにいる。
 それなのにもっと触れて欲しくて、快感を与えて欲しくて…。どんな事になってもいいから内部に熱の固まりを捻り込んで欲しくて、海馬は震える足をそろそろと左右に開いていった。

「うぅっ…!! も…っと…。あっ…ぐぅっ…!! あ…はっ…あぅ…もっと…っ!!」

 自分でも何を口走っているのか分からなかった。それでも朦朧としてきた頭で、欲しい物をひたすらに求める。
 それに気付いた城之内が足の間に身体を割り入れ、硬く勃起した熱を無理に捻り込んで来た。愛撫も何も無いままの無理な挿入。けれど痛みに麻痺した身体は、それを喜んで迎え入れる。

「ひぁっ…! んっ…あぁぁっ!! やっ…あぁ――――――っ!!」

 力を失った身体をビクビクと震わせて海馬は喘いだ。
 喘ぐ度に迫り上がってきた血の塊をゴボリと吐き出し、ゲホゲホと噎せ返る。自由に呼吸が出来なくて、苦しくて苦しくて涙が幾筋も零れていった。
 けれど…行為を止めて欲しいとは思わなかった。身体を前後に揺さぶられ、粘膜を何度も擦られて、発生した熱に酔いしれる。自分では全く気付いていなかったが、海馬はいつの間にか何度も射精をしていた。
 血と涙と汗と精液に塗れながら、海馬は恍惚とした表情を浮かべて城之内を見詰める。何故だかとても満たされた気分になっていた。

「上出来だ…」

 ヒューヒューと息絶える寸前のような掠れた呼吸音を起てながら喘ぐ海馬に、城之内は笑ってみせた。
 満足そうな笑顔。だけどどこか悲しそうな笑顔。
 口の周りを海馬の血液で真っ赤に染めて、いかにも食人鬼らしく無慈悲にそして残酷そうに笑っているが、それがまた無理をしていると思うのは何故なのだろうか…。
 霞んだ視界でそれを捉えながらゼェゼェと荒い呼吸を繰り返していると、城之内の指がゆっくりと自分の顔に向かって近付いて来る。そして長い爪をピタリと青い瞳の上で固定した。

「綺麗な青い瞳…。アイツと同じ色…」

 眉根を寄せて、悲しく笑う城之内を海馬は黙って見詰めていた。
 苦しんでいる…。多分今この男も、自分と同じくらい苦しんでいる。
 押さえきれない食欲。満たされていく飢餓に歓喜の声をあげる身体。けれど心は、きっとそれを望んではいない。
 城之内は本当は…人間を食したくなんてないのだ。ましてや自分は、あのせとと同じ姿。苦しくない筈が無い。
 けれど…その胸の痛みさえ凌駕する程の食欲に、城之内自身も翻弄されているのだった。

「目玉…食わせて…?」
「………。構わ…な…い…。好きに…しろ…」

 そう言う他に、一体何が言えただろう。こんなにもはっきりと、城之内の心の中が見えているのに。
 初めて出会ったあの時のように、まるで子供の様に泣きじゃくっているというのに。

 長い爪が近付いて来ても、海馬は瞳を閉じなかった。ツプリと爪の先が眼球に突き刺さる痛みを感じ、視界が闇に閉ざされる。
 もう痛みは感じなかった。ただ熱かった。目玉を抉られたそこから、涙とはまた違う生温い液体が大量に流れていくのを感じる。最早自分が叫んでいるのか喘いでいるのかすらも分からない。
 ただ閉ざされた視界の中、必死で伸ばした手を熱い掌で掴まれた事だけはハッキリと分かった。掴まれた時の振動で、手首の鈴がチリンと鳴る。
 強く掴まれていた訳では無かったので、海馬はそっと城之内の掌から手首を抜き去るとその肌に指先を触れさせた。
 手首から腕を通って肩へ。そして逞しい肩を撫でつつ更に上に上っていき、頭に辿り着く。意外と柔らかい髪の毛に指を通しつつ、闇夜に光る金髪を頭に思い描いた。

 今でもきっと…綺麗に輝いているのだろうな。
 そういえばちゃんと見ていなかった。
 激痛に翻弄されて、見る余裕も無かったが。

 チリチリと鈴の音を慣らしながら、自らの血でベトベトに濡れた手で丁寧に城之内の髪を梳く。そして、海馬は見えない目で空を見ていた。
 現世での見納めとしてずっと眺めていた、あの透き通った冬の青空。
 出来ればもう一度見たかったな…と思う。城之内と二人で…ちゃんと現世に戻って。

 目を抉られてしまっては、もうどうしようも無いけれど…。

 最後にそんな事を思い少し残念に感じながら、海馬は漸く遠くなっていく感覚に感謝しつつ…意識を手放していった…。