あの夏の日の君へ(完結) - 見守ってみる - 第八話

 二人で朝ご飯を食べ終わって、使い終わった食器を綺麗に片付けながらオレは色々と考え事をしていた。
 別の世界から来たという少し年上の海馬。SFファンタジーの中でしか見た事の無かった超能力。その超能力を使って倒さなければいけない『影』という未知の存在。その『影』を追ってこの世界にやって来て、大怪我をして倒れていた海馬…。考えなければならない事は山程有った。だけどそんな重要な事以前に、オレの頭を一番に悩ませてならなかった事…。それは…。

「あの海馬の着替え…どうしよう…」

 という事だった。
 流石にいつまでもオレの着替えで済ませる訳にもいかないし、かといって海馬のあの体型じゃそこら辺に売っている物ではサイズが全く合わない。サイズを合わせようとすると必然的に特注品になってしまい、今度はオレの所持金ではどうにもならない事態になってしまう。
 今は台所の椅子に座り、復活したらしい治癒能力で昨日の火傷を治している海馬を見つつ、オレは密かに溜息を吐いた。
 まさか海馬邸に「海馬の着替えだけ送ってくれ」なんて言う訳にもいかないし、かと言ってオレの財布の中身ではコイツに合った服を買う事も出来無い。何かもう御都合主義っぽいけど、ある日突然海馬の着替えが大量に送られて来たりしないかなぁ…なんて思った時だった。

「城之内? 携帯が鳴っているぞ」

 火傷を治している最中の海馬にそう話しかけられて、オレは慌てて振り返った。耳を澄ませてみれば、学生鞄の中に入れっぱなしだった携帯からメロディーが鳴っている。そのメロディーはオレが海馬の着信の為だけに設定したもので、という事は、それは必然的に海馬からの電話だという事になる。
 考え事をしていて全く着信に気付かなかったオレは、急いで鞄の中から携帯を取り出し通話ボタンを押して耳に当てた。

「も…もしもし!?」

 声を裏返しながらも問い掛けたら、暫しの無言の後『…城之内か?』という声が電話の向こうから聞こえて来た。
 海馬だ…。間違い無い。コレは『オレの』海馬の声だ…!

「うん、ゴメン。ちょっと片付けしてて電話に気付くのが遅れちまった」
『構わん』
「今…もうアメリカ?」
『そうだ』

 淡々とした短い会話。でもそれがとても嬉しかった。
 違う世界から来た海馬とは、昨日出会ってから凄く沢山の会話をした。目の前で静かに火傷を治しているこの海馬は、オレが今まで見た事のないような綺麗な笑顔を浮かべて、色んな事を喋ってくれた。オレの質問にも嫌な顔一つせず、何でも答えてくれた。自分の恋人である海馬とは絶対出来無いような温かな時間を過ごせて、オレは少し幸せだった。でもやっぱり…違ったんだ。
 何だかんだ言ってもオレが心底愛しているのは、やっぱりこの電話口の向こうの海馬なんだ。今ここにいる海馬とは全く違う冷たさとぶっきらぼうな言葉。短く切り捨てられる会話。昨日から感じていた温かな雰囲気は一つも無い。それでもオレは、この海馬とちゃんと話を出来る事に幸せを感じていたんだ。

「これから仕事なんだろ。身体に気を付けて頑張れよ」
『言われなくても』
「帰って来る時は、一応連絡入れてくれよ」
『あぁ…。実はその事で少し伝えておく事があったのだ。昨日は時間が無くて、言うのをすっかり忘れてしまっていたがな』
「………? 何?」

 珍しい海馬からの言葉に、オレは頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げた。
 コイツがこんな風に自分からアクションを起こしてくるのは、本当に珍しい事なんだ。

『実はな。思ったより長期出張になりそうだから、途中で一度日本に帰国するかもしれんのだ』
「う、うん…」
『その時に貴様の家に何泊か泊まりに行こうと思ってな』
「うん…って…えぇぇっ!?」
『何を驚いているのだ。どうせ夏休みだろう?』
「そ…そうだけど…。お前はいいのかよ…」
『何故だ? オレが恋人の家に泊まりに行ってはいけないのか?』
「………っ!?」

 ふいに…海馬から告げられた一言に胸がカッと熱くなった。
 恋人って…恋人って言った! 海馬が自分から恋人って言った…!!
 あんなに冷たくそっけなくされても、その一言だけで飛び上がる程嬉しくなるのを感じた。昨日はあんなに悲しくなっていたのに、途端に目の前が薔薇色になる。オレって本当に馬鹿で単純だよな…。でもそれだけ海馬の事が好きだって事なんだよ。

「あ…いや、そんな事無いよ! 待ってるから!」
『そうか? ならばいいのだが』

 淡々と感情もなく告げられる言葉に、オレはそれでも滅茶苦茶嬉しくて堪らなかった。互いを想う気持ちの温度差はあっても、やっぱりそれなりに愛されてるのかも…なんて都合の良い事も思ってしまう。

「それで? いつ帰って来れる?」
『それはまだ分からんが…、準備だけはしておこうと思ってな』
「準備?」
『いつ帰れるか、そっちに何泊出来るかはまだ未定だ。だがそちらに行った時に不便な事にもなりたくない。だから予め荷物を送っておいた』
「へ…? 荷物…?」
『オレの着替えだ。それなりに詰め込んでおいたから、預かっておいてくれ』
「え? き、着替えって…?」
『今日辺り着くと思うぞ』

 海馬の着替え。その一言でオレは思考が固まった。
 オレの恋人の海馬はまだ十七歳だけど、身体の成長はもう止まってしまっている。という事はサイズ的には、今目の前でオレ達の会話をじっと見守っている大人の海馬と余り変わりが無いという事だ。
 何て言うか…ちょっと有り得ないけど、これって物凄くラッキーな事なんじゃないのか…?

『ではそういう事だから。予定が分かったらまた連絡する』
「あっ…! ちょっと待って…!」
『何だ? オレは忙しいのだ』
「いや…その…。が、頑張って仕事しろよ…。待ってるから…」
『あぁ。ではな』

 相変わらず淡々とした返事を残し、電話はプッツリ切られてしまった。受話器からはもう海馬の綺麗な声は流れて来ない。ただツーツーという無機質な機械音だけが聞こえている状態だ。
 少し寂しい気分で…でもちょっと嬉しい気持ちのまま携帯のフリップを閉じて、オレは相変わらず火傷を治療している海馬に向き直った。

「良かったな。ちょっと着替えを借りられるかもしれないぞ」
「………?」

 オレの言葉に海馬は不思議そうに首を傾げていたけど、詳しい話をするとちょっと驚いた顔をしてオレの顔を凝視した。

「それは…。話が出来過ぎていないか?」
「そうか? 確かに昨日からラッキーだなーとは思ってたけど」

 大怪我をした海馬を連れて帰った時、丁度親父から電話が来て一ヶ月は海馬をこの家で匿える事が確定した。その時はちょっとラッキーだなーくらいにしか思えなかったけど、確かにこの着替えの事に関しては、ラッキーを通り越して出来過ぎのような気がしてくる…。
 でもオレ的にはこういうラッキーな事って昔からよくあるから、別に特別な事だとは思っていなかった。その事を何となく伝えると、海馬は突然パッと顔を上げて「そうか!」と大きな声を出した。

「ラックが高いのだ…!! それもオレの城之内と同じなのだ!」
「ラック…?」
「幸運度の事だ。城之内の隠れた五番目の超能力と言われている」

 少し興奮気味に説明し始めた海馬の話を纏めると、要はこういう事らしい。
 何でもアチラの世界のオレは、全部で四つの力を持っているんだそうだ。一番目から三番目までは持って生まれた能力で、四番目がコイツと同じように後から人工的に付け足した治癒能力。そして隠れた五番目の超能力と言われているのが、この幸運度の高さなんだそうだ。

「とにかく城之内は幸運度が高くて有名だった。だがその能力は余りにも不安定でな…。その力が最大限に現れて役立つ時もあれば、全く活かされない時もある。そのコントロールは完全に不能で、城之内自身にもどうにもならなかったらしい…。なので正式な超能力とは認められず、隠れた能力として口伝されるだけになった」
「え…? 超能力として認められなかったのか?」
「そうだ。元々我々の世界では、超能力の定義として『能力者が意識した時に自由に発動出来る力』という物があるのだ。城之内の強い幸運度は、その定義に当て嵌まらない。なので超能力としては認められなかったのだ。大体それが超能力の一種なのか、ただの特異体質なのかも分かっていないのだからな」
「そうなんだ…」
「お前はどうだ? 昔からこんなだったのか?」

 海馬の質問に、オレはちょっと真剣に考えてみた。
 確かに昔からラッキーだと思う事がいくつもあった。特に「そうなって欲しい!」と強く願った時に、実際にそういう展開になる事も少なく無かった。だけど、勿論それは毎回そうだった訳じゃない。もし何事も全部オレの思い通りに動いていたら、親父はアル中になんてならなかっただろうし、両親も離婚する事は無かっただろうし、静香の目だって悪くはならなかった筈だ。だから自分の幸運については、いつも「今日はちょっとついてた」くらいにしか思った事が無かったんだ。

「たまにラッキーって思う事はあったけど…ここまでつきまくってた事は無いなぁ…」
「………」

 オレの答えに海馬はまた深く考え込んだ。何も言われて無いけど、海馬が何に思い悩んでいるのかは嫌と言う程伝わって来る。多分、異世界から来た自分が一緒にいる所為で、一般人のオレに要らぬ影響が出ていると考えているんだろう。

「あのさ。あんま心配するなよな?」

 俯いて真剣に考え込んでいる海馬に声を掛ける。オレの声で海馬は視線を上げて、少し困ったように微笑んだ。

「いや…。流石にこうまで影響が出て来ると…、このままここにいても良いのだろうか…と迷うのだ」
「迷ったってどこにも行く所無いんだろ? それに本当にオレがお前に影響されてるかどうかなんて…分からないじゃんか」
「それは…そうなのだが」
「ここにいなよ…海馬。オレ…お前の役に立ちたいんだよ」

 そう。オレは海馬の役に立ちたい。今アメリカに行って全く手の届かない…むしろオレの助けなんて全く必要としていない恋人の海馬の分まで、オレはコイツの役に立ちたかった。オレの幸運度の高さがその役に立つなら…むしろその方がいいとさえ思っていたんだ。