あの夏の日の君へ(完結) - 見守ってみる - 第四話

 闇夜に包まれた夜の公園。その一角に置いてあるベンチで、自分と少し年上の海馬が並んで座っている。それだけでも異様な光景だというのに、この海馬は何とこの世界とは違う世界から来たというのだから驚きだ。
 普通だったら全く信用出来ないお伽噺。だけどオレは、この海馬の話を心の底から信じていた。別にオレが特別思い込みの激しい性格だからとか、ただの馬鹿だからって訳じゃない。何というか…説明が難しいんだけど、本能で信じられたんだ。目の前にいるオレよりちょっと年上のこの海馬の話は嘘じゃないって…そう思えた。
 海馬の口から出る荒唐無稽な話に、オレは必死に耳を傾ける。そんなオレに微笑みかけながら、海馬はもう大分ぬるくなった水を一口ずつ飲みながら、ポツリポツリと喋り始めた。

「貴様が信じようが信じられまいが、そんな事は関係無いがな…。これから話す事は事実だ」
「う…うん…」
「オレがいた世界ではな、人の心に住んでいる悪意が形を成しているのだ」
「悪意…?」
「そう。嫉み…嫉妬…憎しみ…怒り…。そういう物が少なからず目で見える形になっている。それらは人の心に住み、人間に悪影響を与えるのだ」
「え…? でもそういうのって、誰でも持ってたりしないか?」

 オレが海馬の話を聞いて疑問に思った事を口にすると、隣の海馬はニヤリと笑った。まるでオレの問いかけを待っていたかのように。

「そうだ。そういうマイナスの気持ちは、普通は皆持っているものだ。だから小さな悪意などは全く問題が無い。その人物が反省をしたり心を入れ替えたりすれば、そんなものはあっという間に消えて無くなっていく。こっちの世界の人間だって…そうだろう?」

 海馬の言葉に、オレは黙ってコクリと頷いた。
 母親に捨てられ、アル中の父親に暴力を振われ、どうにもならない家庭環境への怒りで荒れに荒れた中学時代。高校に入って遊戯に出会って…そしてオレは友情の大切さに目覚めた。遊戯と行動を共にする内に怒りを忘れ…そして海馬に出会って愛を知ったんだ。だからこの海馬の言う事は、凄く分かるし理解出来る。
 納得したという意味を込めてじっと海馬を見詰めれば、隣に座っている年上の海馬も優しい笑みでコクリと頷き返してくれた。そして再び話し出す。

「人の心に住む悪意は、大概がそんな風に小さな物ばかりだ。ただたまに、途轍もなく大きく成長した物が出てくる。そういう悪意を心に住まわせている人間は、物や人を傷付けたり、手遅れになると殺人を犯したり自殺したりする。ここまでは理解出来るか?」
「うん。何となく分かる」

 海馬の言葉にオレは頷いた。そう言えばそういう酷い事をやらかす人間って、やっぱりどこか病んでるんじゃないかって思うもんな…。多分この海馬が言っている事は、その病んでいる原因が形のある悪意だって言いたいんだろう。
 確信に満ちたオレの目を見て、海馬はまた口を開いた。

「そういう大きな悪意は、まるで影のような姿をしている。真っ黒で…形が定まって無くて…まさに影そのものなのだ。だから我々はそれを『影』と呼んでいる」

 そこまで話を続けた海馬はふぅ…と大きな溜息を吐き、じっと夜空を見上げていた。オレは話の続きが気になっていたけど、とてもじゃないけど「続きは?」なんて促す事は出来無かった。それ程までに隣の海馬の表情は思い詰めていたから…。
 暫くして、海馬はペットボトルの水をまた少し飲んで、言葉を放ち始めた。

「影はな、物理攻撃では消えないのだ。どんなに鋭いナイフでも切れないし、どんなに重い鎚でも潰れない。大袈裟な事を言えば最新式の兵器でも壊す事は出来無い。影を消滅させるにはアストラル体による武器…つまり超能力しか無いのだ」

 そう言って海馬は、右手をズイッと前に突き出した。そうして何かを小さく呟くと、右手の周りに青白い光が漂い始める。その光はさっき火傷を治していた優しい光と違ってもっと明るくて眩くて…何て言うか凄く攻撃的な光だった。
 右手を覆うように光っていたその光はあっという間に収縮し、やがて一本の片手剣の形となって海馬の右手に握られていた。

「凄ぇ…っ!」

 本気で感動してそう呟いたら、海馬はほんの少しだけ得意そうな顔をして口を開く。

「これがオレの一番得意な力だ。オレは光を集めて武器にする事が出来る。これで影を滅するのだ」
「もしかして…それが本当の仕事なのか?」

 オレの質問に海馬はフッ…と微笑んだ。そしてベンチから立上がって、掲げた剣を夜空に一振りする。キラキラと軌跡を描いて輝く青白い光がとても綺麗だった。その光に見惚れている内に海馬は剣を消してしまい、オレの方に振り返り「そうだ」と一言で答える。

「さっき、超能力を持って生まれる者は約一万人に一人だと教えただろう? 超能力を持って生まれて来る者自体が希少な上に、更に影を滅せるとなると少なくてもDランク以上は無いと無理だ。そんな貴重な存在を…政府が無駄に野放しにしておくと思うか?」

 海馬の問い掛けにオレは首を横に振る事で答えた。それくらい、馬鹿なオレでも理解出来る。
 もしこの世界でも人の悪意を消滅させる事が出来るなら…誰だってそうしたいと望むだろう。ましてやそれが出来る人が限られているなら尚更だ。

「各政府で独自の機関があるが、どこも同じような物だ。Dランク以上の能力者を集めて、大きく成長した影を滅する為の組織を作るのだ。まぁ…影専門の警察みたいなものか」
「海馬…。お前もその組織に?」
「あぁ、そうだ。殆どの人間がその仕事一本で頑張っているが、たまにオレみたいに兼業でやっている者もいるがな」
「兼業って…。つまり海馬コーポレーションの社長業…?」
「そうだが?」
「ははっ…。やっぱりお前も社長なのかよ…」

 何を当たり前の事を言っているんだと言うようなキョトンとした海馬の顔に、オレはつい笑ってしまった。こういうところは本当にこっちの海馬と変わらないっていうか…同じなんだよな。だからオレはコイツを『海馬瀬人』だと認められたし、他の世界から来たというお伽噺にも素直に信じられたんだ。だって海馬の言う事はいつも真実のみだから。嘘は言わないし、SFとかファンタジーとかの非ィ科学的な話なんて以ての外だ。
 クスクスと笑うオレを不信そうに見詰めて来る海馬に「ゴメンゴメン」と謝って、オレは姿勢を正した。ここまでの海馬の話は良く分かったけど、一つだけ浮かんで来た疑問を無視する事は出来無かったんだ。

「あのさ、一つ質問していい?」

 オレの言葉に海馬が首を傾げ、そして「何だ?」と言い返してくる。

「お前が悪意とか影とか、そういう訳の分からない物を倒す仕事をしているのは分かった。でもそれってあっちの世界の話だろ? 何でお前…今ここにいるの?」

 確かに似たような世界であっても、こっちの世界では人の悪意は形にはならない。いや、実は形はあるけど自分達がそれに気付いて無いだけなのかもしれないけどな。でも、少なくてもこの世界にはそんな組織は無い。いくら夢みたいな超能力者集団だからといって、こっちの世界の悪意まで倒しに来るってのは…有り得ない話だと思ったんだ。
 質問をしてじっと海馬の顔を見詰めていたら、海馬も至極真面目な目をしてオレの事を見ている。そして「そうだ。それが本題だ…」と呟いた。「また少し…回りくどい話になるが良いか?」と聞いてきたので、オレはそれに「いいよ」と肯定の答えを返しながら頷く。
 海馬は再びこちらに歩いて来て、ベンチに腰掛けて話し始めた。

「今から一ヶ月程前の話だ。オレ達がいる部署に、随分と大物で性質が悪い影の情報が入って来た。こう言っては何だが、オレはその部署ではかなり腕の立つ能力者の内の一人だからな…。オレとオレの師にその仕事が任される事になった」
「し………?」
「師匠の事だ」
「えっ!? お前師匠とかいるの!? ていうか修行とかしてたの!? 信じらんねぇーっ!!」

 意外な一言にオレは心底驚いて、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。その声に海馬は一瞬ムッと眉を顰めたけど、次の瞬間にはまるで何かの悪戯を思い付いたかのような顔して、クスリと笑みを零していた。
 あ…と、オレは何か嫌な予感がして身を固くしてしまう。海馬がこんな顔をしている時は、大概良からぬ事を考えている証拠なんだ。

「何だ? オレに師がいては、何かおかしいのか?」

 海馬の言葉にオレは「う………」と口籠もる。だって全く想像出来ないじゃん…。あの海馬が誰かに師事して、真面目に修行をしてるなんてさ…。
 オレの内心を読み取ったかのように、海馬は面白そうにクスクスとただ笑っていた。

「あのな、城之内。オレの世界では確かに超能力者は先天性だとは言ったが、その能力が開花するのは個人差があるのだ。赤ん坊の頃から目覚めている人間なんか早々おらず、大体が思春期に目覚める。オレが目覚めたのはもっと遅くて…高校生の頃だった」
「え? そうなの…?」
「そうだ。更に言えば、オレは自分の能力に全く気付いていなかった。そんなオレの隠れた能力に気付いたのが、当時クラスメートでありオレの恋人でもあった…ある男だった」
「………は?」
「その男はな。この世界では珍しく、随分子供の頃から能力に目覚めている奴だった。何でも幼い頃に両親が離婚し、アル中の親父に殴られている内に、自分の身を守る為に能力が開花したとか…言っていたな」
「え? え? えぇっ!?」
「そいつがな、オレを目覚めさせたのだ。オレに対して『自分の能力に気付くべき』だとか『その力をもっと役立てるべき』だとか色々言ってな。そして自分と一緒に人の心に巣くう影を退治しないかと、そう勧めてきたのだ」
「なっ…ん…!? そ、そいつって…っ!」
「ランクSS+(ダブルエスプラス)。史上最強の炎使い。名前を『城之内克也』という」

 驚きに目を瞠るオレの前で、年上の海馬は面白そうにニヤリと笑って、もう一人のオレの名前を呟いた。

「オ…オレ…!?」
「そうだ。もう一人の…お前だ」

 海馬は途端に得意げになって、唇の端をついっと上げて笑っていた。
 あ…その顔はオレも良く知っている。海馬が自慢げに話をしている時によくしている表情だ。

「城之内はオレの恋人であり…オレの師だ。遅くに目覚めたオレの為に、城之内は付きっきりで能力の使い方を教えてくれて、夜遅くまで練習や検査に付き合ってくれた事もあった。ともかくオレが能力者として仕事が出来るようになったのは、あの城之内のお陰なのだ」

 そう言って海馬は、自分の右手をじっと見詰めた。すると右手が青白く輝き始める。先程剣を作った時のように眩い光では無いけれど、青白い美しい光がまるで蛍のように海馬の右手の周りを飛んでいた。

「先程カードを見せた時に言ったが、オレのランクはAAA+だ。ただ能力的には既にSクラスだと言われている。経験が少ないのがAランク止まりの理由だったのだ。だからこの仕事が舞い込んで来た時に、組織の幹部から『この影の仕事が無事に済めば、Sクラスに格上げだ』と言われて、オレは漸くチャンスがやって来たと思って自然と気合いが入っていた」

 海馬は喋り続けながら、ふいっと右手を振ってみせた。夜の闇の中で青白い光が、まるで花火のように煌めいて散っていく。

「その話を聞いて、絶対に失敗は出来無いと思った。勿論オレの師である城之内も同じように思っていて、二人でその仕事を成功させる事を決意したのだ。相手が近年稀に見る大物だという事で、オレや城之内の他にもエース級の能力者が何人か協力して捜査に当たり、そして今から二時間程前…ついにその影を追い詰める事に成功したのだ。だが…」

 そこまで一気に話して、海馬の言葉は突然止まってしまった。今までの話を真面目に聞いていたオレには何となく続きが分かっていた。つまり海馬や向こうの世界のオレ達は…その影を逃がしてしまったに違い無い。試しに「逃がしたのか?」と尋ねると、海馬が真面目な顔をしてコクリと頷く。オレはやっぱりな…と小さく息を吐き出した。

「ただ逃げたのだったら、ここまで大騒ぎになる事は無かった。再び追い詰めて、今度こそ仕留めればそれで良いのだから…」
「でも…そうはいかない事態が起きたんだな?」
「………あぁ。その影は事もあろうに…宿主であった人間を見捨てて、仲間の一人に乗り移った」
「え…? えっ!?」
「確かに…おかしいとは思ったのだ。仕事を請け負った時に貰った資料によると、この影は点々と宿主を変えて生きている。しかも今までその影に乗っ取られていた者は、例外なく死を迎えている。オレ達は宿主が死ぬと自分も生きていられないから、死んだ後に新しい人間に憑依していると考えていたのだが…」
「それが…違った?」
「半分は当たっていたのだろう。だがもう半分は少し違っていた。オレ達は誤解していたのだ。その影は…『宿主を殺した相手』に取り憑くという習性を持っていたのだ…」
「こ、殺したって…」

 流石に『殺す』なんて単語が出てくれば、オレだってビビる。ましてや海馬はさっき、その影は仲間の一人に乗り移ったと言っていた。という事は…だ。

「余りに深く影に支配されている場合、やむなく宿主を殺さなくてはいけない場合があるのだ」

 海馬はオレの顔を見詰めながら、淡々と言い放った。

「今回も宿主の救出は不可能だと判断された。だから仲間の一人が宿主の命ごと、その影を滅しようとしたのだ。そうしたら…その影は宿主の命が尽きる瞬間、宿主の身体から飛び出して自分を殺そうとした能力者に憑依した」
「………っ!!」
「困った事にその能力者は、かなりの力の持ち主だった。影に憑依された能力者は自らの時空間移動の力を使って、別世界…つまり超能力者がいないこの世界に逃げようとしたのだ。オレはそれに即座に気付き、新しい宿主が影ごと逃げる前にその腕を捕らえる事に成功した。そして閉じられる寸前の時空移動空間に一緒に飛び込んだのだ…」
「………」
「夢物語だと思うか? だが事実だ。こっちの世界に辿り着いて、オレはすぐにでも影を滅しようとした。だが結果は…見ての通りだ。オレは奴の能力で大怪我を負って、影は能力者の身体を操って…逃げてしまった」
「海馬…」
「オレは必ず奴を探し出さなければいけない。そして今度は確実に殺さなければならない…。それがオレの…使命だから」

 海馬はそう言って、もう殆ど空になったミネラルウォーターのペットボトルを両手で強く握り締める。ペキペキというプラスチックが歪む音を聞きながら、オレは今度こそ本当に信じられない気持ちで、苦痛に歪む海馬の顔を黙って見詰める事しか出来無かった…。