結局その日の朝は、箍が外れた様に大泣きした大人の海馬を慰めて、三人で一緒に二度寝をした。二人の海馬に挟まれて眠るなんて、オレに取っては至上の幸福と言わざるを得ない状況だった筈なのに…あんまりデレデレ出来無かった。それは勿論、恋人の海馬やもう一人のオレに悪いから…という気持ちもあったけど、決戦前の緊張感がオレの気持ちを引き締めていたんだと思う。
少し遅くに起きて、三人でブランチを食べ、その後は大人の海馬に能力の使い方を簡単に教えて貰った。とは言っても、こちらの世界にいるオレ達の実力じゃ、炎や光を掌の上で翳す程度しか出来無いけどな。でも全く練習しないよりはマシだと思って、オレも恋人の海馬も真面目に練習した。
二、三時間もすれば結構自由に超能力が使えるようになってきた。初めはそれを喜んでいたんだけど、大人の海馬に言われた一言で喜びは一瞬で消えてしまう。
「多分…お前達が超能力を使えているのは、この世界にオレ達がいるからだ。オレや城之内が元の世界に帰ってしまえば、シンクロしている人間がこの場からいなくなるという事だから…」
「つまり、この能力は使えなくなって、元の一般人に戻ってしまうと?」
大人の海馬が言い淀んだ先を、恋人の海馬が続けて言う。大人の海馬はその言葉に、素直にコクリと頷いた。
「こちらの世界には、元々このような能力は無い。あり得ない事象なんだ。だから影響している人間が去れば、自然に能力のシンクロも解けるだろう」
二人の海馬が真面目に話している事を、オレはすぐ側で黙って聞いていた。せっかく手に入れた超能力が消えてしまうのは凄く残念だったけど、それが自然の摂理なら仕方が無い。それに、大人のアイツ等が生きて無事に元の世界に帰る事は、オレに取っても最大の願いだった。
それにしても…と、オレは自らの手の上で踊る炎を見ながら溜息を吐く。
何もしないで時が過ぎるのが嫌で練習を始めてはみたものの、こんな付け焼き刃の能力でSS+レベルの超能力を持つ大人のオレに敵うなんて、微塵も思っていない。それは恋人の海馬も一緒だった。安定して出せるようになった光に満足そうにしつつも、それでまともに闘えるとは思っていないんだろう。終始気難しそうな表情を崩してはいない。
でも何故か、オレはやらないよりはマシだという気持ちが強く出ていたんだ。決して敵う訳が無い矮小な超能力。だけどきっと…何かの訳に立つと思われてならない。
昼過ぎに軽い食事を食べた後も、オレは一人で練習を続けていた。初めての時はマッチ棒の先に灯るような小さな炎だったそれも、今は掌全体を覆うくらいにまで大きくなっている。けれど、昨夜見た大人のオレの姿を思う度に大きな溜息を吐いてしまう。
アイツは…大人のオレは、本当に巨大な能力の持ち主で恐ろしく見えた。なまじ中途半端に超能力に目覚めていた所為だろう。力の差を肌で感じて、恐怖で震えが止まらなかった。今思い返してみても、あの恐ろしさは半端な物では無いという事は分かる。あの時の状況を思い出すだけで、背中がゾワッと寒くなって鳥肌が立つくらいだ。
「でも…泣き言ばっかり言ってられねーしな」
掌全体の灯った炎をギュッと握り締めて、オレは決意を固める。
そうだ。泣き言なんて言っていられない。オレ達は何としてでも、あの悪意の固まりである影を打ち破って大人のオレを救い出さなくちゃいけないんだ。だってそうじゃないと、四人揃っての幸せなんて有り得ないから。
幸せになるんだ。絶対に…絶対に幸せになる!! 城之内克也と海馬瀬人は、絶対に幸せにならなくちゃいけないんだ!!
「城之内」
ふと、優しく呼ばれた声に気付いて振り返った。そこには恋人の海馬が穏やかな顔をして立っている。
「海馬か。どうした?」
「いや…。まだ練習を続けていたのかと思ってな…」
海馬は微笑みを浮かべたままオレの側に近付いてきて、すぐ隣に腰を下ろした。そして自分の掌を開いて、その中央に青白い綺麗な光を灯してみせる。オレにはそれが、希望の光のように見えた。大人の海馬が放つような強い光では無いけれど、優しく灯る青白い光は、海馬の決意そのもののように思えた。
「城之内…」
「何?」
「好きだ」
「うん。オレも」
海馬がしっかりとオレの目を見ながら告白してくる。今のオレには、海馬の本当の気持ちはとうに分かっていた。だから別に驚きはしなかったけれど、やっぱりちゃんと言葉にして言って貰えると心から嬉しいと感じるんだ。
オレ達の辛い時間はもう終わった。だからこそ、今度は大人のアイツ等の辛い時間を止めてやるんだ。やっぱり二人で幸せにならないと意味が無い。
「幸せになろうな…海馬。オレ達も、アイツ等も」
「あぁ、分かっている」
「オレ達の小さな能力ではどうにもならないかもしれない。アイツ等の真剣勝負に割って入るなんて、到底無理かもしれない。それでも…頑張ろうな」
「勿論だ。結果的に何も出来なくても、オレは諦めたくない。諦めない。アイツを…大人のお前を救うまでは」
「そう。そして大人の海馬と幸せにするまでは…な」
二人で顔を見合わせて、ニッコリと微笑み合った。そしてどちらからともなく身体を寄せ合って、軽いキスをした。強く抱き締め合いながら、お互いの体温を直に感じて心から幸せだと思う。
襖を隔てた隣の部屋では、大人の海馬が見張りをしている。早くアイツにもこの幸せを感じて欲しいと…強く強く感じてならなかった。
お互いがそれぞれの時間を好きな様に過ごして、もうすぐ夜の七時になろうかという時だった。
オレは突然身体中の毛穴がゾワリと逆立つような感覚を感じて、座っていた状態から慌てて立上がった。側に座っていた恋人の海馬も、驚愕したような顔でオレの事を見上げて来る。
「城之内…?」
不思議そうにオレを呼ぶ海馬に、オレはそろりと視線を移した。
海馬はキョトンとしていて、全く何の変化にも気付いていないらしい。だけどオレは嫌って程感じていた。まるで身体全体が感度の良いアンテナになったかのようだった。すぐそこに…本当にすぐそこにまで、大人のオレが来ている事を感じる。
「来た…」
震える声で呟いて、急いで居間と寝室を隔てている襖を開け放った。
「海馬!! 来た! 来やがった!!」
オレの声に窓の外を見ていた大人の海馬は、慌てたように振り返って立上がった。その驚きように、大人の海馬も何も気付いていなかった事が分かる。青い瞳を大きく見開き、真っ直ぐにオレを見詰めて何度も瞬きをしていた。
「来たのが…分かるのか? 何かを感じたのか?」
「あぁ、滅茶苦茶感じたぜ。お前は…? 何も感じないのか?」
「オレには分からない…。ある程度近くに来れば能力を感知する事が出来るが、どうやらその範囲内にはいないらしい」
大人の海馬の言う通りだった。確かにすぐ側には感じられない。だけどオレには分かっていた。大人の海馬が感知出来無いギリギリの範囲外に、アイツがいる事を…。
多分これは、大人の海馬のように能力で感知している訳では無いからなのだろう。オレとアイツは、生きている世界は違えど同じ『城之内克也』という人間だ。今まで一度も顔を合わさなかったのにも関わらすそれでもシンクロしてしまったように、同じ人間にしか感じられない気配という奴があるんだろうな。
そうだ。オレには分かる。アイツは待っている。海馬を…待っている。
「公園だ」
いつの間にか二人並んでオレを見詰めている海馬達に振り返って、オレは冷静にそう言った。
「多分…公園だ。海馬…、もう一人のオレがそこでお前を待っている」
オレの言葉に大人の海馬は一瞬言葉に詰まって、だけど次の瞬間しっかりとした目付きで「分かった」と頷いた。そしてクルリと方向転換をすると、スタスタと玄関に向かって歩き出す。オレと恋人の海馬も同じように玄関に向かった。
準備はもう既に出来ていた。
靴を履いて玄関を出て、三人で外に出る。外はもうすっかり真っ暗になっていて、驚く程静かだった。夏休みの夜七時頃と言えばまだ宵の口で、普通に色んな人が外を出歩いていてもおかしくないというのに…。
「結界だ」
「え?」
まだ何も言っていないというのに、大人の海馬はオレの言いたい事を読み取ったらしい。黙々と歩きながら、チラリと視線を寄越しながら説明しだした。
「この感覚は結界だ。多分昨夜から漠良が広範囲に張り巡らせているのだろう」
「そういやあの公園で大人のオレに出会った時も、アイツそんな事してるって言ってたな」
「あの時張っていた結界とは少し違うがな」
「そうなの?」
「公園に張っていた結界は、外界と結界内を完全に遮断するものだ。あの結界を張ると、外からは完全に中の様子が見られなくなる。その中でどんな光景が繰り広げられようと、外から見るといつもの風景とまるで変わりが無いように見えるのだ」
「へぇー、凄いな。じゃあ今回の奴は?」
オレの言葉に大人の海馬は一旦足を止めて、辺りをぐるりと見渡す。それに習ってオレも恋人の海馬も同じように周りを見渡してみるけど、特に変わったような事は何も無かった。ただいつもより、外が静かだなーと感じるくらいで。
「相変わらず見事な結界だな…」
ふっ…と口元に笑みを浮かべながら、大人の海馬は感心したように言った。
「お前達、いつもと何か様子が違うと思わないか?」
「様子が違う…? そう言えばまだ七時だってのに、人があんまりいなくて静かかなーと」
「それだ。それがこの結界の効果なのだ」
「………?」
大人の海馬の言っている意味が分からなくて、オレはつい真横にいる恋人の海馬と目を合わせてしまう。こっちの海馬も暫く不思議そうな顔をしていたが、突然何かに閃いたかのように「なるほど!」と声に出した。
「もしかしてこれは…本能的に外に出る危険性を感じさせているとか、そういう類の物なのではないか?」
自信たっぷりに問われた声に、大人の海馬は笑みを深くして「そうだ」と答えた。
「この結界内にいる人間は、自分では気付かないが本能的に『外に出てはいけない。早く家に帰らなければいけない。この場所に近付いてはいけない』という事を感じるようになる。感じているのはあくまで本能の為、特に何も不思議に思う事無く、皆安全なところに戻りそこから出なくなるのだ」
「そうか…。それでこの静けさか…」
「公園程度の小さな場所なら、昨日張った様な結界の方が便利だ。だが広範囲になるとそれは得策とは言えない。人を排除する事が無理なら、人を自主的に閉じ込めさせればいい。そういう考え方だな」
「なるほど。上手い手を考えつくものだ」
「だがな。これは超能力を持っていない一般人にしか効かないのだ。少しでも能力があると、これを感じる事が出来無い。だから今のお前達も全然平気なのだろう」
そんな風に言って、大人の海馬はオレ達を振り返った。その言葉にコクコクと頷く。
確かに今のオレ達は、特に何の居心地の悪さも感じてはいない。夜道を歩いている感じも、全くいつもと変わらないように感じる。
「街中には広範囲の結界を張り、更に公園には昨夜の時と同じ結界を張るのだろう。ほら、もう漠良も来ているぞ」
言われて正面を見てみれば、大人の漠良が片手を上げて道の真ん中に立っていた。
「早かったな」
「君が動いたのを感じたからね」
「流石、治癒や結界を使える物は気配に聡いな…。お前が世話になっているこちらの『自分』はどうした?」
「危ないから絶対部屋から出ないようにって言い聞かせてきたよ」
大人の海馬の質問に、漠良はニコニコした笑顔のまま答えている。だけどその顔が以前よりずっと緊張しているのが、オレにも伝わって来た。
ベテランの超能力者が緊張を隠せずにいる事を感じて、今更ながらに怖さを感じてきてしまう。だけど逃げる訳にはいかない。城之内克也という人間と、海馬瀬人という人間の幸せの為に、オレ達は真っ向から闘わないといけないんだ。
もしこれがたった一人なら、きっとその恐怖に屈してしまっていただろう。だけどオレは立っていられる。立ち向かう勇気がある。何故ならば…。
「城之内…」
恐怖か武者震いか…細かく震えるオレの拳を、少しヒンヤリした恋人の手が優しく包み込んできた。
うん、そうだ。大丈夫だ。だってオレにはコイツがいる。海馬が側にいてくれる。
「大丈夫だよ。ちゃんと頑張ろうな」
「………あぁ」
二人で大きく頷き合って、目の前に見えて来た公園をじっと見据えた。
大人のオレの姿はまだ見えて来ない。でもオレには感じていた。そしてここまで来れば他の連中にも、その異様な雰囲気が伝わって来ているらしい。皆一様に表情を硬くして、ただ一点を見詰めている。
「待ってろよ…。必ず救い出してやるからな」
確かにそこにいる存在に向かって、オレは強く言葉を放った。