あの夏の日の君へ(完結) - 見守ってみる - 第二十話

 海馬と二人で抱き合って眠って、少し経った頃だった。時間にして二~三時間程の睡眠と言ったところだろうか? 突然身体を揺すり動かされて、オレは眠りから浮上した。まだ重い瞼を無理矢理開けると、部屋の中は薄暗い。枕元に置いてある目覚まし時計は、朝の四時過ぎを差していた。

「城之内…起きろ」
「ん…? 何だよ…。まだ早朝じゃん…」
「いいから起きろ。嫌な予感がするのだ」

 小さく囁くように耳に入ってきた海馬の声に、オレは眠いのを我慢して渋々視線を上げた。目に入ってきた海馬の顔は、酷く真剣な表情をしている。その顔を見て、オレは飛び起きた。何だか嫌な事が起っている事を肌で感じたからだ。

「どうした…?」

 海馬がヒソヒソ声のままオレを起こしていたので、オレも小さな声のまま問い掛けた。オレが真面目に話を聞く体勢に入った事に海馬も気付いたらしく、上半身を起こしたオレに近付いて来て耳元で言葉を放つ。

「先程…もう一人のオレが何やら準備をしていた。直接見た訳では無いが、ゴソゴソと支度をしていたのは確かだ」
「何だって…?」
「まだ家の中にいるようだが、もしかしたらもうすぐ出ていくかもしれん」
「それは…。え、でもさ、そんな筈無いだろう? 昨夜四人で作戦会議したばっかりじゃん。それで協力して影を倒すって決めたんじゃないか…」
「そうだな。だがよく考えてみろ。アイツは…『オレ』だぞ? そんな簡単に協力プレイするような奴では無いだろう」
「あっ………」
「それに今回の事件は、アイツの責任問題の割合が大きい。自分のした事に、そして自分の所為で城之内を犠牲にした事に、きっと強い負い目を持っている。そんな奴が…素直に誰かの協力を受け入れると思うか?」
「………海馬…」
「相打ちを狙って、協力して影を撃つというのは建前だ。きっとアイツの中では…未だに二人揃って生き残る展開は考えられていない。城之内を殺し、そして多分…」
「多分…何だよ…」
「………」
「言えよ」
「多分…だが。これは確定では無いが…。城之内を殺した後、自分も自害するつもりなのではないかと…」
「………はぁ?」
「だから、多分だと言っている」
「何だそれ!?」

 なるべく声を出さないようにしながら、それでもオレは鋭く言葉を放ってしまった。
 昨夜の作戦会議。あの大人の海馬は、自分も相手の『オレ』も、両方が生き残る道を示してくれた。オレ達はただの一般人で、その作戦はやっぱり怖かったけれど、お互いが幸せになる為にと覚悟をしてそれを承諾したんだ。その事に関しては、寝る直前に恋人である海馬とも強く誓い合っている。
 だから今オレは、目の前の海馬が言う事が何一つ理解出来なかった。

「あんだけしっかり作戦会議しておいて、結局二人揃って死ぬつもりなのか…? アイツ何考えてんだよ…!」
「流石のオレも、自分の予想が間違いだと信じたいが…。だが『アイツ』は『オレ』だ。考えが…理解出来るのだ」
「お前も両方死んだ方がいいって思ってるのか?」
「そんな事は思っていない!!」

 オレと同じように鋭く言いながら、だけど海馬は少し寂しい顔をした。そして俯いて、小さく…本当に小さく呟く。

「思ってはいない…が、理解は出来るのだ。もし自分が同じ立場になったら…きっと同じ事を思うだろうと…」
「海馬…」

 すっかり落ち込んだように項垂れている海馬を、オレは腕を伸ばして抱き寄せた。
 オレは今…全員で生き残りたいと思っている。そしてそれは、この海馬も全く同じように思っている筈だ。最初相打ちをするって聞いた時、大人の漠良が怒っていたのも多分同じ理由だ。漠良は大人のオレを助け出して、全員無事な状態で元の世界に帰りたいと思っている。影に取り憑かれてるもう一人のオレだってそうだ。生きたまま影を倒し元に戻る為に、押さえ付けられている自らの意識を保とうと頑張っているんじゃないか。
 それをアイツは…大人の海馬は裏切ろうとしている。全ての人間の希望と覚悟を、簡単に裏切ろうとしているんだ。

「それは…駄目だ!」
「城之内…」
「それだけは駄目だ。許せない」

 自分に言い聞かせるように強くそう言うと、同時に玄関の方から何やら音がする。今にも出ていきそうなその気配に、オレは慌てて立上がって寝室を出た。ドスドスと足音を立てて玄関に赴けば、案の定、すっかり支度を済ませた大人の海馬が玄関の鍵を開けようとしているところだった。
 未だ世間は寝静まっている早朝に、そんな派手な登場をすればどんな馬鹿だって気付く。大人の海馬はぎょっとしたような表情で振り返り、オレの顔を凝視した。

「おはよう、海馬」
「………」
「こんな朝早くに、どこに行こうってんだ?」
「………」

 オレの質問に大人の海馬は答えない。ただ表情を硬く引き攣らせて黙り込んでいる。白い両拳をギュッ…と強く握り込んだのが、オレの目にもハッキリ映った。恋人の海馬が言っていた嫌な予感が当たった事を目の当たりにして、オレも苦々しい気分になる。
 本当に…どうしてコイツはこうなんだろう。本当に大事な事は何一つ言わないで、思い込んだら一直線だ。漸く仲直り出来たけど、恋人の海馬の方だってずっとこんな感じだった。オレがアイツの本当の気持ちに気付くまで、どれだけ苦労した事か…。
 やっぱりこんな危ない奴、一人にさせちゃ駄目だ。大人のオレだって、きっと同じように思っている筈。だからこそ…今ここでコイツを一人で行かせる訳にはいかなかった。大人のオレが守ってやれないなら、今ここでオレがコイツを守るしか無い。そして無事に、大人のオレに引き渡すんだ。ちゃんと四人で幸せになる為に…。

「海馬?」

 有無を言わさないように強い口調で名前を呼べば、海馬は眉根を寄せて俯いてしまった。

「どこ行くの?」
「………」
「影に取り憑かれたオレを殺しに行くつもり?」
「っ………!」
「それで自分も死ぬつもりなんだな?」
「………っ。それ…は…っ」
「どうして? 何でそんな事するんだよ。昨日作戦会議したばかりじゃないか…!」
「無理だ…!」
「無理? 何が無理なんだよ」
「どんなに理想論を掲げても、結局は無理だと言っている…!」

 オレの言葉に海馬はキッと顔を上げ、鋭く睨み付けながら強い言葉を放った。青い瞳が揺らめいている。眉根はキツク寄せられて、辛そうな表情が海馬の内面をそのまま映し出していた。
 それは…この大人の海馬の覚悟を、そのままオレに伝えて来ているようだった。

「理論上は可能だ。けれど奴の能力を考えた時…相打ちだなんてそんな悠長な事はやっていられない。本気で殺しにいかないと、こっちが殺られる…!」

 ギリギリと強く拳を握り締めながら、海馬は重い口調で話し出す。オレは敢えてその言葉に、淡々とした答えを返す事にした。

「………。だから…殺すと?」
「大体こうなったのはオレの責任だ…。本当はオレが取り憑かれる筈だったのだ。もしそうなっていたならば、オレより力の強い城之内が簡単に片を付けてくれた筈なのに…。それなのに…アイツはオレを庇って…代わりに自分が取り憑かれて…」
「………海馬…」
「オレにどうしろと言うのだ! オレはアイツ程強くないし、能力を器用に使える訳でも無い…! オレに出来るのは…アイツを殺す事だけではないか…!!」
「恋人で師匠なのに?」
「だからこそだ!! だからこそ…オレがこの手で…責任を持って…っ!!」
「でも本当は殺したく無いんだろ?」
「っ………!!」
「だから一緒に死ぬつもりなんだろ?」
「そ、それは…っ! 相手を殺したら今度はオレが取り憑かれるから…。だから意識を乗っ取られる前に自害してしまえば…今度は誰にも乗り移る事は叶わない筈だと…。それに他の誰にも迷惑は掛からないから…」
「迷惑だよ」
「………何?」
「凄く迷惑だ」

 大人の海馬の勝手な思い込みに、流石のオレもカチンと来た。恋人の海馬に対する騒動で大分慣れていたから、無駄にキレる事は無かったけどさ…。
 でもやっぱりコイツも『海馬』なんだなって、ちょっと微笑ましく思ったのも確かだった。何でもかんでも、自分本意に決めやがる。相手がどうとか周りがどうとか、余り考え無いんだよな。一人で決めて一人で突っ走って…そして不幸になるのはコイツ自身だ。
 そこまで考えて、オレはもう一人のオレの事を思った。
 きっと…アイツも海馬の事をこうやって大事に想っていたに違い無い。そして今も、影に取り憑かれながら必死に海馬の事を考えて、生きて幸せになろうとしている。オレには分かる。アイツの覚悟が見える。だから、今はコイツを行かせる訳にはいかないんだ。

「お前以外はみんな迷惑だと思っているよ。漠良はもう一人のオレを救う為にこっちの世界に来たんだし、オレもこっちの海馬も全員で生き残って幸せになるんだって、昨夜覚悟をしたばかりだ。影に取り憑かれたもう一人のオレだって…きっとそう思ってる。生還してお前と幸せになりたいって、強く思ってる。オレには分かるんだ」
「………城…之内…が…?」
「そうだ。だから意識を完全に影に明け渡さないでいられるんだろ? お前の事を想っているから、アイツは自分を無くさないでいられるんだろ? 違うか?」
「っ………!! 城之…内…っ!!」
「オレ達はみんな、生きる事を諦めていないんだよ。諦めているのはお前だけだ。だから勝手にそういう風に思われるのは凄く迷惑だ」
「………ぅ…うっ…!」
「お前だって本当は…死にたくないんだろ? もう一人のオレの事だって…殺したく無いんだろ? そうだろ?」
「そ…それは…当たり前だ…! だが仕方無いだろう…! きっと…無理だ…!」
「だから何でそういう風に勝手に決めつけるんだ? 誰が無理だって言ったんだよ。やってみなけりゃわからないだろ」
「だが…っ!!」
「辛い癖に」
「何…だと…?」
「本当は自分が一番辛い癖に。だから泣いてるんだろ?」
「っ………!! こ、これは…!!」
「泣くなよ。泣くくらいなら頑張れよ。生きる事を諦めるなよ。本当は…『オレ』と幸せになりたい癖に」

 玄関に棒立ちになってハラハラと泣き続ける大人の海馬。オレは腕を伸ばして、そっと細い肩を掴んだ。そしてそのまま引き寄せて自分の胸の内に抱き寄せてしまう。
 寝室の影からオレ達を見守っていた恋人の海馬が、苦笑しながらコクリと一つ頷いた。そして「今だけだからな」とぶっきらぼうに呟く。まるでその言葉が引き金になったかのように、大人の海馬はオレに力強くしがみついて…そして泣き出してしまった。

「城…之…内…っ!! 城之内…っ!! 城之内ぃーーーーーっ!!」

 本当は…ずっとこうやって泣きたかったに違い無い。だけど自分の失態とか責任とか、影に取り憑かれて豹変した恋人の事とか、それに対する自分の立場とか、とにかく色んな要素が絡まり合って素直に泣く事が出来無かったんだろう。恋人であるもう一人のオレを殺す事も、全部自分の責任だと割り切って…我慢して…平気な振りをして。

「可哀想にな…」

 そっと…優しく栗色の頭を撫でる。
 平気な筈…有る訳ないじゃないか。自分の恋人が影に取り憑かれてしまったというのに。そしてその人を、自らの手で殺さなければいけないかもしれないのに。全然平気な筈無かったんだ。

「いいから。胸…貸してあげるからさ。今だけは思いっきり泣けばいい」
「うっ…! くっ…ぅ…っ!!」
「その代わり、泣き終わった後はちゃんと覚悟決めろよ? もう一人のオレを救い出して、生きてみんなで幸せになる為の覚悟を決めろよ?」

 オレの言葉に、大人の海馬は必死にコクコクと頷いていた。その返事に満足して、オレは恋人の海馬と視線を合わせる。こっちの海馬もオレと同じように満足げに微笑んで、コクリと頷いてくれた。



 これで全員の覚悟は決まった。
 決戦は…目の前にまで迫っていた。