あの夏の日の君へ(完結) - 見守ってみる - 第二話

 どうみても海馬にしか見えないその男は、でもオレ達よりずっと年上に見えた。大分大人びた顔を苦しそうに歪め、白い肌を土と泥と血で汚して気を失っている。とりあえずこんな所に寝かしておくのはダメだと思って、恐る恐るその身体に手を掛けて上半身を起き上がらせた。重力に従ってオレの身体の方に寄り掛かって来たのを、慌てて受け止める。温かい体温と共に思ったより軽い体重を感じて、心臓がドキリと高鳴った。

「お、おい…っ! しっかりしろよ!」

 何だか自分がとてもいけない事をしているような気がして、オレはそれを誤魔化すように、自分の肩に頭を預けてグッタリしている男の白い頬をペチペチと叩いた。その刺激に男は「うっ…ん…」と呻いて、ゆっくりと瞼を開けていく。闇夜に光るその瞳を見て、オレは心底驚いた。

「青眼…っ。海馬…?」

 薄い瞼の下から現れた瞳は、美しい真っ青な瞳だった。この瞳の色には覚えがある。この深い青色は…オレが愛しているあの海馬の眼の色だ。オレが見間違える筈が無い。この瞳は、間違い無く海馬の瞳だ。
 だけどそこまで考えて、オレは「でも…」と自分の考えに疑問を持った。
 確かにオレが今抱き締めている男は海馬にそっくりだ。青い瞳、栗色の髪の毛、白い肌…。顔の造形も、男にしては細い体型も、全てが『海馬瀬人』そのものだった。でもオレが知っている海馬と印象が全く違う。それに何故だか妙に大人びている。少なくても十七歳の海馬じゃない。多分もうちょっと…あと四~五年すればあの海馬もこうなるんだろうなって感じの外見だ。
 海馬にそっくりだけど…海馬じゃない。海馬じゃない筈なのに…海馬だと感じる。
 その不思議な感覚に捕われて、目の前の男の顔をじっと見詰めていた時だった。

「じ…城之…内…?」

 海馬にそっくりな男が、掠れた声でオレの名を呼んだ。一瞬聞き間違いかと思ったけど、いくらオレでも自分の名前を聞き間違える事は無い。この人は今、確かにオレの名前を呼んだ…!

「か、海馬…!? お前…なのか…?」

 どもりつつ男の言葉に応えてそう話しかけたら、オレに抱かれているソイツは驚いた様に目を瞠ってオレを凝視した。そして次の瞬間ふぅ…と大きく溜息を吐きながら「あぁ…そうか…。お前はこの世界の…」と小さく零す。
 オレは? オレが一体何だって?
 そう疑問に思って聞き返そうとすると、突然腕の中の身体が硬直した。そしてゲホゲホと激しく咳き込み出す。

「うっ…! ゲホッ…ゴホッ…!!」
「おい…、大丈夫かよ…?」
「み…水…を…っ」
「水!? わ、分かった! すぐに持ってくるから…!!」

 慌ててそう答えつつも、とりあえずこんな土の上にいつまでも居させる訳にはいかなくて、オレは男の腕を肩に掛け腰を支えつつ立上がった。男もオレに体重を掛けて一緒に立上がって歩き出す。公園の中に戻って一番近くにあったベンチにその細い身体を横たえながら、オレは驚きを隠せないでいた。
 目の前の男は本当に海馬そっくりだった。眼の色や髪の色、顔や体格、声や雰囲気…。それら全てが、この男が『海馬瀬人』だという事を物語っていた。一緒に歩いた時も、その身長差にビックリした。何せいつも海馬と並んで歩いてる時の感覚と全く同じだったから。

 果たして全くの赤の他人に、こんなに既視感を覚える物だろうか…?

 不思議な感覚に陥りながらも、オレは急いで公園脇の自動販売機まで駆けていき、ポケットから小銭を出してミネラルウォーターのボタンを押した。ガタンッという音と共に取り出し口に落ちてきたペットボトルを取り出し、少し考えて同じ水をもう一本購入する。

「水、買って来たぞ」

 駆け足でベンチまで戻ると、そこに仰向けに寝ていた男がゆるりと瞳を開けてオレを見た。そして上半身を起こしながら、震える手を差し出して来る。その手にキャップを外してやったミネラルウォーターのペットボトルを握らせると、海馬にそっくりなソイツはハァハァと息を荒くしながらペットボトルに口を付けた。

「っ…! うっ…ゲホッ!! ガハッ!!」

 何口かはすぐには飲み込まず、口に含んでは濯いで地面に水を吐き出していた。だけどそれを繰り返す内に大分口の中がスッキリしてきたらしい。最初のペットボトルの水が半分くらいになった後は、ゴクゴクと喉を鳴らして冷たい水を美味しそうに飲んでいた。
 さっきは薄暗い藪の中だったからそうでも無かったけど、公園内に戻ってきて明るい街灯の下で見たら、その男の汚れや怪我の具合がハッキリと分かる。腕や顔のあちこちに傷があり、特に左腕の怪我は酷かった。着ていた服は元々長袖だったらしいけど、肘の辺りまで生地が無くなっていて、剥き出しになった腕には酷い火傷の傷があった。多分服が燃やされて、その所為で火傷をしたんだと思われる。
 取り敢えず冷やさなきゃと思い、ポケットに入っていたハンカチを取り出した。それを公園の水飲み場まで行って、冷たい水で濡らして固く絞る。
 普通はこんな大怪我をした人間を見たら、すぐにでも救急車を呼ばなくちゃいけないと思う。オレだって子供じゃないし、それくらいの常識は持っている。でもこの時は何故か、そんな考えにならなかった。というより、救急車を呼んだらいけないと思った。
 本当に不思議なんだけど、本能がそう告げていたような気がする。

「これ…使ってくれ」
「………」
「き、汚くないぜ? ちゃんと洗ってきたし」
「………ありがとう」

 水で濡らしたハンカチを差し出しながらそう言ったら、海馬に似た男は一瞬目を丸くしてオレの事を見返した。だけど次の瞬間、ふわりと笑ってオレの手からハンカチを受け取ってくれる。その余りにも綺麗な笑顔に、オレの心臓はドキリと鼓動を跳ねさせた。
 海馬にそっくりな顔に今まで見た事も無いような笑顔が浮かべば、そりゃ意表を突かれるってもんだろう。コレに関してはオレは悪く無い…と思う。

「っ…!! 我ながらこれは…酷くやられたものだな」

 海馬に良く似た男はクスクスと笑いながらそんな事を言って、濡らしたハンカチで左腕の傷口を丁寧に拭っていた。
 耳に入ってきた声も海馬そっくりで驚いた。いや、いつもの海馬より若干低い。成熟した男の声って感じがする。

「なぁ…大丈夫なのかよ」

 傷口を綺麗にしたお陰で、その酷さが余計に目立つようになった。素人目に見ても酷い火傷だ。下手をすればケロイドが残るかもしれない…と思う程の火傷にオレが顔を顰めた時だった。

「大丈夫だ。このくらいなら何とかなる」

 そう言ってソイツは自分の左腕に右の掌を翳した。そして目を瞑って何かを口で唱える。

「………え?」

 その途端、目の前で起きた現象に、オレは驚き過ぎて間抜けな声を出してしまった。
 男が何かを呟いた瞬間、右手から青白い光が溢れて左腕の傷を覆い始めた。そして非常にゆっくりな速度ではあったけど、その光に包まれた火傷が少しずつ治っていくのを目の当たりにする。
 じわじわと傷が治っていくその様子は、まるで逆再生の動画を見ているようだった。

「何だ…これ…? 魔法…?」
「…? 何を言っているんだ? これは魔法では無い。超能力だ」

 思わず呟いた一言に、ソイツはしっかりと反論してくる。

「オレのヒーリング能力は、後から人工的に付け足した第三能力だからな。本来のヒーラーに比べると治癒能力は大した事は無いが…時間を掛ければ軽傷にまで戻す事は可能だ」
「…はい? えぇっ?」
「能力者だったら、これくらいの事は出来て当然だろう? 何だかんだ言って、やはりヒーリング能力は便利だし…」
「あ…いえ…あのぉ…、スイマセン。何を言っているのかサッパリ分からないんですが…」

 全くチンプンカンプンの言葉が海馬にそっくりな人の口から吐き出されて、オレは頭が混乱してしまった。パニクり過ぎて思わず丁寧な言葉遣いになるくらいに焦ってしまう。
 超能力…は何となく分かった。でも後の言葉がサッパリ分からない。ヒーリング? 第三能力? 能力者?
 頭にクエスチョンマークを山程浮かべているオレを見て、目の前の海馬にそっくりな男は漸く合点がいったような顔をした。

「なるほど。この世界はアストラル体がエーテル体に影響を及ぼさない世界なのか」
「………は?」
「良く分かった。そうか…それならばこの現象が理解出来無くても仕方無い。驚かせて悪かった」
「あ…あの…。本気で何を言ってるのか分からないんですが…」
「分からなくても無理はない。この世界の理では無いのだからな…城之内?」
「えっ…!?」

 目の前の海馬に良く似た人間から再び出て来た自分の名前に、オレは今度こそ本気で固まった。
 さっきのはやっぱり聞き間違えじゃなかったんだ…。でも一体どういう事なんだ? この男は確かに海馬にそっくりだけど、あの海馬じゃない事だけはオレにも分かる。でもこの男を形成している全てが、この人間が『海馬瀬人』だと知らしめている事も確かだ。
 オレはコイツを海馬にそっくりだと思ってて、そしてコイツはどうやらオレの事を知っていて、でもオレはコイツ自体の事は知らなくて…。
 分からない…。何が何だか理解出来ない。

「アンタ…一体誰なんだ?」

 立ち尽くしてそう呟いた一言に、目の前の男はニヤリと笑った。そして信じがたい…けれど予想通りの言葉を吐き出す。

「オレか? オレは海馬瀬人だ」
「海馬…っ?」
「そうだ。この世界とは別の世界の世界に生きる…海馬瀬人だ」

 それがオレと海馬にそっくりな…いや、別の世界の『海馬』との初めての出会いだった。