オレと海馬と、そして別の世界から来た大人の海馬と漠良の四人で家に帰って…。そして狭い居間で長い長い話をした。オレと海馬はテーブルを挟んで椅子に座り、大人の海馬と漠良は、背後で黙って立って見守っている。何だか説明が面倒臭いなぁ…思う事でも、一つ一つ丁寧に話していった。海馬はずっと眉をしかめて訝しげな表情で話を聞いていたけど、最後まで余計な口を挟む事は無かった。台所の椅子に座り、腕を組んでじっと黙っている。
オレが上手く話せ無い事は、たまに大人の海馬や漠良が助け船を出してくれた。オレ以上に分かり易く、懇切丁寧に説明していく。そして…。
「という訳で、お前はもう一人のオレに狙われてるって訳。オレというよりは…影に取り憑かれたオレにだけど」
オレがそんな風に話を締めくくると、海馬は「はぁーーー…」と盛大な溜息を吐いて頭を抱えた。そこまで酷くは無いけど、やっぱりちょっと苛ついているのが感じられる。
「それで? オレがそんな荒唐無稽な話を信じるとでも?」
「信じるしか無いじゃん。現にこんだけ目の前に証拠が揃っていて、他に何を疑うんだよ」
「………」
オレの反論に海馬はまた黙り込んでしまう。
目の前には、これ以上は無い程に完璧な証拠が出揃っていた。全く同じ姿形をしたもう一人の自分と大人の漠良。さっき公園で相まみえた大人のオレの事もそうだ。そして目の前で繰り広げられた、超能力による派手な戦闘。常識では考えられない事が、それでも実際に目の前で起こっている。
少し考えるように俯いて、海馬は組んでいた腕を解いて自分の掌をそっと開いてみた。そこには仄かに小さな青白い光が灯っている。この家に帰って来てすぐ、大人の漠良が海馬の超能力を解放した為に起こった現象だった。
超能力の発露と共に、海馬の頭痛も治まったらしい。今はすっかり顔色も良くなっていた。ただし…滅茶苦茶不機嫌そうだけど。
「信じるしか無いだろ?」
「………」
「信じて…自分の身を守るしか無いじゃんか。このまま知らない振りしてても…いずれもう一人のオレに殺されちゃうんだぜ?」
「………」
「死ぬの嫌だろ?」
「…当たり前だ」
漸く一言だけ返事を返して、海馬は光が灯った掌をギュッ…と強く握り締めた。
分かってる。本当は海馬も、ちゃんと分かっているんだ。ただ余りに唐突過ぎて、それを信じられる心の余裕が無いだけなんだ。
海馬はまた一つ小さな溜息を吐くと、オレが出してやったお茶を一口コクリと飲んだ。そして湯飲みをテーブルの上に戻すと、今度はちゃんと顔を上げて口を開く。
「仕方が無い。信じてやろう」
信じてやろうって言い方が、海馬らしくて尊大で可笑しかった。可笑しかったけど、海馬が渋々事実を認めてくれたって事が分かって、オレも漸くホッと一安心する。
「信じてくれてありがと」
「信じるのは別に構わないが…。その話だとオレは狙われているのだな? それは間違い無いな?」
「うん…」
「という事は、一人で行動したら危ないという事だな?」
「そうだな。そっちの海馬なら問題無いけど、お前は身を守る術が無い。オレもそうだけど、こんな力じゃどうしようも無いからな。だってあっちはSS+ランクという凄い力の持ち主だし…」
「そっちのオレの話によると、どうやらその力を上手く引き出せてはいないらしいがな」
海馬の言葉に大人の海馬の方を振り返ると、背後でオレ達を見守っていたもう一人の海馬はチラリと視線を寄越して、そしてコクリと頷いた。オレから見れば充分凄い超能力でも、あの海馬に取ってはやっぱりどこか違和感があったらしい。
「確かに強烈な力はそのままだったし、個別の能力も上手く使いこなしている。けれど繊細さやキレが無かった。ああいうのはやはり、その能力の直接の持ち主で無いと引き出せないものだからな…」
大人の海馬の言う事は難し過ぎて、オレにはよく分からない。だけど視線を移した先で恋人の海馬の方が同意するように頷いていたから、そういうもんなんだろうなと自分なりに納得した。
「まぁ、そんな話も非力な一般人のオレ達には何の関係も無い事だ。問題なのは、オレが一人で居た時に、あの城之内に襲われる事だろう?」
恋人の方の海馬の台詞にコクリと頷く。
影に取り憑かれたあの大人のオレが狙っているのは、あくまでも『海馬瀬人』という存在だ。非力な一般人という事に関してはオレも同じだけど、多分オレの方は何の心配もいらない。心配いらないっていうか…多分相手にされてないだけだと思うけど…。
だってあの大人のオレが気にして怖がっているのは、海馬が目の前にいる事によって刺激され、押さえ付けていた城之内克也の本当に意識が目覚めてしまう事だもんな。同じ存在であるオレがいようがいまいが、そんな事は関係無いんだ。
「うん…。だから余り一人にならない方がいいって思うんだけど…」
「オレもそう思った。だから暫く貴様の家で世話になろうと思う」
「うん…って、えぇっ!?」
「何だ? 何か可笑しい事を言っているか?」
「え…いや…言って無いけど…」
「そうだろう。オレの知らない内に勝手に何着かもう一人のオレに貸し出されていたようだが、着替えも既にここにある。特に何の問題もあるまい」
「それについては…。本当にスミマセンでした…」
海馬のちょっとした嫌味に頭を下げて謝ると、背後の方からも「済まん」という尊大な言葉が聞こえて来た。
いや…お前、それ謝ってねえから…。とか一瞬思ったけど、海馬の性格を考えた時、それもまた仕方無いなって思ってしまう。むしろ「済まん」とちゃんと言葉にして謝っているだけマシなのかもしれない。
「いや、別に問題は無い。事情が事情だから…仕方無いだろう」
「そう言って頂けると…とても助かります」
大分温くなったお茶をズズッ…と啜って偉そうに言う海馬に、オレはペコリと頭を下げた。
とりあえずこれで、海馬の件は何とかなったっぽい。早速携帯メールでモクバに連絡している海馬を横目で見ながら、オレはもう一人気になっていた奴に目を向ける。
それは居間の端の方で壁により掛かって、ムッスリと不機嫌そうな顔をしている…大人の漠良だった。あの児童公園で大人のオレから襲撃を受けた時から、ずーっと何かを怒っている漠良。もう一人の海馬との会話によって、それがコイツとの作戦会議が原因だって事は何となく感付いたけど、直接の原因が何だったのかって事までは分からなかった。
座ってた椅子から立上がって、恐る恐る漠良に近付いて行く。そして思い切って「あのさ…」と声を掛けてみた。
「さっき公園で何やってたの? 何かもう一人のオレが、結界がどうのこうの言ってたんだけど…」
「結界? あぁ、さっきの奴ね」
オレの質問に、漠良はひょいっと片眉を上げて口を開いた。
「あんな狭い公園で超能力バトルしてるんだもん。超能力に慣れているボク達の世界の人達ならいざ知らず、こっちの人達にとっては有り得ない光景でしょ? だから公園の周りに結界張って、中で何が起こってても何も見えないようにしてたんだ」
「へぇー」
「あと結界は、超能力で無駄にあちこち傷付けないようにする事も出来るんだ。これは治癒能力者の得意技なんだよ」
「そうなんだ」
漠良の答えに、オレは心底感心した。
超能力って一言で言っても、様々な力があるんだなって改めて感じる。もう一人のオレの炎の能力や、大人の海馬の光の能力、そしてこの漠良の治癒や護る事に特出した能力…。色んな話を聞いて大分知ったつもりでいたけど、本当のところ全然理解してなかったんだなって事に気が付いた。
まぁ…だからこそ、余計に漠良が怒っている理由が気になるんだけどな…。
「ところで…あの…」
ちょっと言いにくそうにそう切り出したら、漠良はオレの表情で全てを読み取ったらしく「あぁ…」と大きく息を吐き出しながら言葉を発した。
「ボクが怒ってる理由が気になるんでしょ」
「………そ…そうです…」
「最初に言っておくけど、ボクは何も悪く無いからね。海馬君の…あぁ、ウチの海馬君の話を聞けばすぐに分かると思うよ」
フンッ! と顔を背けながらそういう漠良に、オレはそろそろと視線を移して大人の海馬の方を見た。目が合った瞬間、海馬はバツが悪そうな顔をしていたけど、やがて諦めたように口を開き出す。
「…オレがずっと考えていた作戦を…話しただけだ」
「あぁ、そういやさっき言ってたな。作戦がどうとかこうとか…」
オレの返しに、海馬は目を細めて「そうだ」と言った。
「お前も知っている通り…あの影は自らの宿主を殺した相手に取り憑くという、厄介な性質を持っている。もしオレが城之内を倒す事が出来たとしても、今度はオレに乗り移られたんでは全く意味が無い」
「それは…そうだな」
「だから相打ちを計ろうと思ったのだ」
「相打ちって…ええぇっ!?」
大人の海馬の台詞に、オレは驚いて大声を出してしまった。
相打ちって事は共倒れって事だ。どっちも助からないって事だ。どっちにも救いが無いって事だ。
「そ、それは駄目だろう!?」
「ねー!? そう思うよねー!?」
オレの叫びに大人の漠良も同調する。
なるほど分かった。それは漠良が怒っても仕方が無い。ていうか、オレも怒る!
「ボク達は海馬君も城之内君も、どっちも救おうとしているんだよ。ボクもそのつもりでこっちの世界に来た。それなのに、聞かされた作戦がこれだよ? そりゃ怒るってもんでしょ」
「あぁ、それは怒っても仕方が無い」
二人で顔を合わせてうんうんと頷いていれば、横に立っていた大人の海馬が慌てて「ち、違うのだ!!」と声を荒げて反論してきた。
「だから貴様ら、話は最後まで聞け! 何も両方死ぬという事では無い…っ!」
「だって共倒れってそういう事でしょうー?」
「貴様も分からん奴だな…漠良。人の話は最後まで聞けというのに!!」
殆ど喧嘩腰になった海馬と怒って拗ねる漠良の大人組。今にも一触即発の雰囲気にオレがオロオロし出した時、後ろの方から「なるほど」という冷静な声が飛んできた。不思議に思ってそちらの方に目を向けると、そこにいたのはオレの恋人の方の海馬だった。
海馬は何故か、至極納得したような顔をしてニヤッ…と笑っている。
「相打ちとは…よく考えたな。確かにそれならば、その影とやらを捕まえる事が出来るかもしれんぞ」
「何…? それどういう事…?」
オレのキョトンとした質問に、海馬はさも面白そうにクスクスと笑っている。
「つまりあの影にだな、どっちに乗り移ったら良いのか分からなくさせてしまうのだ」
「………?」
「もう一人の城之内の身体に留まったままでもいいし、もう一人のオレに新たに乗り換えてもいい。それはどちらでも構わないのだ。ただしあの影は、コイツ等に捕まったりしないように逃げている最中なのだろう? 傷付いた身体に留まり続ける訳にはいかないのだ」
「う、うん…?」
「捕まるのが分かっていて、大人しくしている逃亡犯がいるか? 奴はきっとそこで悪あがきをし始めるだろう。しかし影という存在は、誰かに取り憑かないと生きてはいけない。新たに、傷付いていない元気な人間に取り憑く必要があるのだ」
「あぁ、うん…。それは…分かる」
「城之内に取り憑いても、オレに取り憑いても、相打ちしていては全く意味が無い。そこで影は逃げ切る為に他の人間…多分側にいるであろうオレか貴様に乗り移ろうとするだろう」
「うん…って、なんだって!?」
「だがオレや貴様に乗り移ったからといって、あの影に一体何が出来るというのだ? オレ達は多少超能力に目覚めたからと言っても、基本は何の力も持たない一般人だぞ。そちら側の人間に乗り移られるより、ずっとリスクが少ない」
「………」
「それにオレの予想だと、乗り移られてすぐはそんなに危険性は無いのでは無いか? どんなに凶悪な影でも、宿主の身体を傷付けずに結構すぐに引き剥がせたりとか…出来そうだがな」
海馬の言葉にハッとして振り返れば、漠良と睨み合っていた大人の海馬がこちらに振り返って「そうだ!」と鼻息荒く答えた。
「だがこの作戦で問題なのは、オレと城之内が瀕死の重傷に陥らなければならないって事なのだ! それに万が一とは言え、こちらのお前達の身体を傷付けないとは限らない。そんな時に頼りになるのが、このSランク治癒能力者の漠良の存在なのだ!!」
ちょっと感情が高ぶっているらしい…。大人の海馬が興奮気味に言葉を吐き、目の前に立っていた漠良をビシッと指差した。漠良はその指先をキョトンと見詰め、次いで視線を上げて海馬の顔をじっと見詰める。そしてやっと何かを思い付いたように、ポンと両手を打ち合わせた。
「あ…あぁ、そっか! そういう事だったのか!!」
物凄く分かり易く、漠良の表情がパァーッと明るくなっていく。
「城之内君か海馬君から影が飛び出してくるまでは、死なない程度に治癒を施すって事でしょ? やり過ぎちゃうと元気になって、逃げちゃうからね」
「そうだ」
「それで影が飛び出してこっちの城之内君か海馬君に取り憑いたら、今度は二人を速攻治して動けるようにする。そうすれば取り押さえるのなんてあっという間だ」
「あぁ、その通りだ。ただ、影がお前を狙ってくる可能性もあるのだが…」
「ん? それは大丈夫だよ。だってボク結界張れるもん。治癒能力者に影による被害者が少ないのは、結界が張れて自分の身を守る事が出来るからなんだよ。勿論、余り前線で戦わないってのもあるけどね」
先程までの不機嫌はどこへやら…。漠良は至極上機嫌になって、フンフンと鼻歌まで歌い出した。オレにはよく分からなかったけど、どうやら大人の海馬が考え出した作戦が思いの外良かったらしく、そのまま同意したらしい。
畳の上でクルクルとターンをして、漠良はニッコリと笑顔を浮かべながらオレに近付いて来た。そしてにこやかな笑顔のまま言葉を放つ。
「という訳で城之内君、協力宜しくね?」
「はい………?」
余りに突然の作戦に、オレは面喰らうしかなかった…。