あの夏の日の君へ(完結) - 見守ってみる - 第十七話

 暗い夜空に蒼と紅の光がぶつかり、激しい音と共に眩しい光が辺りを照らす。その音と強い光に、オレは覚えがあった。それはあの日…この公園で初めて大人の海馬を拾った時に見た音と光、そのものだった。
 今なら分かる。あの音と光を見た時、海馬ともう一人のオレは命がけで戦っていたんだ…。

「城之内…っ!!」

 腹の底から絞り上げるような声を出して、もう一人の海馬が大人のオレに斬りかかった。それに気付いたオレは右手に持っていたシミターの刃でそれを受ける。ギィンッ!! という鈍く硬い金属質な音が辺りに響いた。青白い光の刃と赤い炎の刃をギリギリと押し付け合い、近距離で暫く二人で睨み合った後、もう一人のオレが刃を返して大人の海馬を押し返す。海馬は少し蹌踉めいて体勢を整えようとしていたが、影に取り憑かれたオレはその様子にニヤリと笑って、海馬の隙を狙って左手に持っていたシミターを前に突き出してきた。

「海馬…っ!! 危ない!!」

 思わず叫ぶと、大人の海馬がハッとしたような表情を見せる、そして慌てて身体を仰け反らせて、真っ赤な炎を纏ったシミターの刃を避けた。ただ避けるときに刃の先が少し髪の毛を掠ったらしい。ハラリ…と何本かの栗色の髪が闇夜に散っていったのが目に見えた。

「っ………!?」
「くっ………!!」

 もう一人のオレの動きは、思ったより大きかったらしく隙が出来ていた。その間に海馬は小さく呻き声を上げると、空中を蹴ってオレとの距離を測る。そして二人は地面に降りてきた。まるでずっと空中に浮いていたかのような戦いに、オレはゴクリと生唾を飲む。感覚としてはかなり長い時間のように思えたが、実際は一瞬の出来事だった。

「はぁっ…はぁっ…。城之内…っ!」
「何だ…そこにいたのか海馬…。本当にコイツはお前じゃ無かったんだな。それは失礼した」

 息を荒くしながらギリギリと睨み付ける大人の海馬と違って、もう一人のオレはどこか飄々としている。ニヤニヤとした厭らしい笑みを浮かべて、目の前の海馬と、オレの後ろにいるこっちの海馬を見比べていた。でもオレの目にはちゃんと見えていた。あっちのオレも余裕そうにしていながらも、肩で息をしている。AAA+クラスの超能力者の攻撃を受けて、流石のSS+クラスの超能力者であるオレも無事では済まなかったらしい。

「そいつらから離れろ…。お前の相手はこのオレだ…!」

 チキリッ…と剣を持ち直して、海馬は強い口調で大人のオレに告げる。だけど目の前に立っているもう一人のオレは、クスクス笑いながら二人の海馬を交互に眺めていた。そして両手に持っていたシミターをしっかり握り直して、にやけ面のまま口を開いた。

「あのな、何勘違いしてるか知らないけどさ。こっちの海馬がどうとか、そっちの海馬がどうとか、そんな事オレには何の関係も無いんだよ。問題なのは『海馬瀬人』という人間の存在そのもの。その『形』が目の前にあると、意識がぶれるんだよね。だから殺すんだよ。………どっちもな」

 その言葉に二人の海馬がビクリと身体を固まらせたのが分かった。大人の海馬はしっかりと剣を持ち直して向き直り、オレは自分の恋人を守る為に大人のオレの前に両手を広げて立ち塞がる。

「コイツには絶対指一本触れさせない…!!」

 強く睨み付けながらそう告げると、大人のオレはフフンと鼻で笑うだけだった。
 超能力者でも何でも無いこのオレが…ただの人間のこのオレが、あっちのオレに敵う訳は無い。現に力の差を歴然と感じ、肌は粟立ちまともな呼吸すら出来無い。身体は緊張して今にも逃げ出したいと本能が訴える。
 でもオレは逃げ出す訳にはいかなかった。せっかく海馬と分かり合えたっていうのに…この幸せを、そして海馬を失う気なんてこれっぽっちも無い。

「オレは逃げない。海馬を傷付ける事は許さない。絶対に殺させたりなんかしないからな…!!」
「そうか。じゃあお前が先に死ぬか?」
「ふざけんな。オレも死なねーよ! 二人で生きて幸せになるんだよ!! 悪意の固まりのてめぇにゃ、一生掛かっても分からねーだろうがな!!」
「何を甘い事…を…。っ………!?」

 オレの言葉に大人のオレが反論しようとした時だった。向こうのオレが突然頭を抑えて顔を歪ませる。まるで酷い頭痛に苛まれているかのように…。

「城之内…だな? 城之内なんだな…!?」

 そのオレの反応に、剣を構えていた海馬が大声で叫んだ。必死なその叫びが公園に響き渡る。

「やはりお前は城之内では無い!! どんなに城之内の身体を上手く使い、能力を披露してみせても、本来の城之内にある筈のキレが無いのだ…っ。だからお前は城之内では無い! どんなにその身体を利用しようとしても、お前にそいつの身体は使い切れない。城之内の身体を…早く返せ…!!」
「何を馬鹿な事を…。オレはこの身体を充分に上手く使いこなせている。そんな事…お前に心配されるまでも無い!!」

 語尾を強めてそう叫ぶと、大人のオレは地面を蹴って、公園の中央に建っている時計台の上に足を掛けた。まるで体重なんて無いかのように真っ直ぐに立っている。

「今日のところは分が悪いから、退散するとするよ…。すぐそこで結界を張っている奴もいる事だしな」
「え………?」

 大人のオレの言葉に慌てて周りを見渡してみると、公園の外に漠良が立っているのが見えた。漠良は難しい顔をして、公園に向かって両手を突き出している。両方の掌が仄かに光っているのが、オレの目にもハッキリ見えた。時計台の上に突っ立っている大人のオレも、その漠良の存在には気付いているらしい。じっとそっちを見詰めていると、やがて視線に気付いた漠良が顔を上げる。その目は…いつもの脳天気な漠良では考えられない程鋭いものだった。

「やれやれ、本当に分が悪いな」

 深い溜息と共に呆れたようにそう言い放って、もう一人のオレは両手に持っていたシミターを一振りした。その途端、その二つの刃は炎の塵となって闇夜に溶けていく。

「オレの中の意識も今日は元気一杯だ。抑えておくのも楽じゃねぇや。取り敢えず今日は退散するぜ。じゃあまたな、海馬」
「ま…待て…っ!!」

 口調はどこまでも軽い。でも、もう一人のオレが本当に限界を迎えているのは、その顔色で分かった。
 真っ青な顔に脂汗。頭を押さえ付けている手も震えている。身体の本当の持ち主であるオレの意識が出てくるのを、影が無理矢理押さえ付けているのがよく分かった。
 最後に大人のオレはオレの方を振り返り、ニヤリと笑った。そしてそのまま時計台を蹴り…闇夜に消えてしまう。消えたオレを追いかけようとした海馬も、やがて足を止めて辺りをキョロキョロと見回し、そしてフゥ…と深く嘆息した。多分どこにも気配を感じることが出来無かったのだろう。
 青白く光る光の剣を消して、海馬は少し肩を落としていた。

「来てくれたんだな…。ありがとう、助かったよ」

 落ち込んでいるのを少しでも慰めたくて、そう優しく声を掛ける。すると大人の海馬はこちらに振り返り、にこりと微笑んで口を開いた。

「済まない。少し漠良と話をしていたものだから、来るのが遅くなってしまった。無事で良かった」
「話………?」
「オレが考えていた作戦を打ち明けたのだがな…反対されてしまって。それで少し言い争っていたのだが…」

 そう言って海馬がチラリと視線を動かす。その先を辿ると、公園の入り口で漠良が険しい表情をしたまま腕を組んで突っ立っているのが目に入ってきた。
 見えなくても感じる…。漠良は怒っていた。何だかよく分からないけど、滅茶苦茶怒っていた。目に見えない恐ろしいオーラが、漠良の背後から滲み出ているような気がする…。
 触らぬ神に祟りなしとは言うけど、何だか漠良から目が離せなかった。せっかく命が助かったっていうのに、この後にまた一波乱が有りそうな気がしてブルリと震えると、ふいに袖をクイクイと引っ張られる感触に気付いた。何だと思って振り返ってみて…そこで青い瞳と視線が合う。
 そう…。オレは自分の恋人がすっかり放置されているのを…忘れてしまっていた。

「城之内…」

 オレの袖を引っ張りながら、海馬は震える声でオレの名前を呼んだ。多分動揺しているんだろう…。うん、分かるよ。これは仕方無いよな。

「何故…何故オレがもう一人いるのだ…? しかもさっきのお前は何だ? 何故城之内が二人もいるのだ? あの漠良も何だ? 急に大人びているようだが…」
「あぁ…うん。その事を説明しようと思ってたんだけど…」
「オレに分かるように説明しろ! コレは何だ? 夢か? 幻か!?」
「いや、夢でも幻でも何でも無いから…。とりあえずオレん家行こ? そこで落ち着いて話し合おう」
「これが落ち着いていられるか!!」
「ぎゃあ!! 暴力反対!! 取り敢えず落ち着いて!! ちゃんと説明するからーっ!!」

 突然叫びだしてオレに殴りかかろうとする細腕をキャッチする。
 分かってる。これはわざとじゃない。パニックに陥った結果、海馬も自分で何やってるか分かって無い状態なんだ。でも殴られたら痛いから、ここは止めさせて貰うけどな…。
 掴んでいた腕を引き寄せて、細い身体を腕の中に閉じ込めてしまう。まだジタバタと無駄な抵抗を続ける身体を押さえ付けて、骨の浮いた背中をポンポンと優しく叩いてやった。

「海馬…。愛してるから落ち着いて。お願いだから」

 耳元でそう優しく囁いてやれば、オレの腕の中で抵抗していた身体は途端に力を失った。そしてクタリと力を無くしてしまう。
 一瞬気絶したのかと思って心配したけど、顔を覗き込んでやれば青い瞳は見開いたままだった。そしてソロソロと顔を上げて、オレと視線を合わす。頼りない…不安で一杯の気持ちが、その澄んだ青い瞳にありありと浮いていた。

「大丈夫だから。ちゃんと海馬にも分かるように…話をするから」
「本当か…?」
「勿論!」
「………」
「だからとりあえずオレん家に行こう。ここにいたらまたアイツが襲ってくるかもしれないし、家の中の方が落ち着ける。な? そうしよう」

 オレの提案に腕の中の海馬は頷き、そして振り仰いだ背後の海馬もコクリと頷いたのが見えた。最後に公園の入り口に突っ立ったまま動かない漠良を見ると、如何にも「仕方無いなぁー」という顔をして踵を返す。歩いて行った先がオレの家の方角だったので、安心して海馬を抱えたままその場で立上がった。
 二人で寄り添って歩いて公園を出た時に、オレは振り返って後ろから付いて来ている大人の海馬を見据えた。そして敢えて笑顔を消して話しかける。

「お前の作戦とやらも聞かせて貰うからな。オレとコイツの命が掛かってるんだ」

 オレの言葉に、海馬は至極真面目な声で「あぁ」と頷いた。

「大丈夫だ。お前達に危害が加わるような事はしない。コレはオレ達の世界の問題だからな」
「オレが言ってるのはそういう事じゃ無いんだけどな。漠良があんなに怒るなんて…お前アイツに何言ったんだ?」
「………」

 オレの問いに、大人の海馬が答える事は無かった。ただ「後で話す」と一言だけ言い、それからは無言でオレの家まで歩いて行ったのだった。