*Lost World(完結) - 失われた世界へ… - 1月30日23時45分

 1月30日23時45分


 約束した土曜日の日が暮れた頃、バイトを終えた城之内は邸に遣って来た。当初はオレと城之内とモクバの三人での食事の筈だったのだが、予定が一週間ずれたせいでモクバは参加出来なかった。通っている小学校のスキー合宿に参加する為、金曜日の夜から出掛けてしまっていたのだ。

「城之内と仲直り出来て良かったね、兄サマ。せっかくだから二人でゆっくりするのがいいぜぃ」

 ビシッと親指を立ててそう言う弟は、一体オレ達の関係をどこまで把握しているのか分からない。少なくても自分がモクバと同じ年の頃はこんな知識は無かった筈なのだが、近頃の子はませているというか…モクバはオレと違って聡い子なので、もしかしたら全て把握済みなのかもしれないと思う。
 その事を思い出して少々赤面していると、城之内に「お前、また熱上がって来たんじゃないか…?」と心配され、慌てて首を横に振って否定した。
 体調はもう全く問題無いのだ。熱はすっかり下がったし、喉ももう痛くない。ただ少し…いや酷く緊張しているだけだ。



 海馬家専属のシェフが腕を振ったご馳走やケーキを二人で食べ、お互いに早めに風呂に入った後はオレの部屋で雑談する。ソファーに二人で並んで腰掛けて、たわいもない話を心から楽しんだ。
 静かで優しい時間が流れている。心から幸せだと思える一時。けれど勿論このままで終わらすつもりは無い。
 オレは今晩、唇も…肌も…オレの全てを許す事を城之内に言うつもりだった。だがどうしてもその糸口が掴めない。言い出す切っ掛けが無い。
 城之内の話に微笑みを返し曖昧に頷きながらも、オレは内心焦っていた。何とか勇気を出して言い出そうとしても、どうしても途中で言い淀んでしまう。貴重な時間はどんどんと過ぎていくというのに…。
 そうこうしている内に、時計の針は二十三時を回ってしまっていた。

「もうこんな時間か…。そろそろ寝ないとな」

 大きなあくびをし、眠そうに時計を見上げた城之内の言葉に心臓が高鳴った。

「客室どこ? オレの部屋、用意してあんだろ?」

 遠回しに遠慮しているかのような城之内の言葉。向こうも切っ掛けを探ってはいるが、どうしても上手く行かないのが手に取るように分かった。
 伺うような視線の城之内に、オレは意を決した。コクリと喉を鳴らし、フルフルと首を横に振ってみせる。

「客室は…用意していない。今夜はこの部屋に泊まれ」
「こ、この部屋って…。えーっと…、それは簡易ベッドかなんか用意してあるって事?」

 オレの言葉に城之内の頬がピクリと痙攣した。珍しく奴が心から焦っているのが、手に取るように分かる。

「何故わざわざそんな事をせねばならんのだ。オレと同じベッドで眠れば良かろう」

 だから敢えて冷静さを装って、普段通りの口調で城之内を誘った。今ここで怖じ気づいてしまったら、もう二度とこんな風に大胆には誘えないだろう。変な話だが、そういう自信がある。
 という事は、これは最初で最後のチャンスなのだ。オレがこの先も城之内を愛していけるかどうか…今まさにここで試されているに違いない。

「は………? 同じベッドで…?」

 そんなオレの決意を汲み取れない城之内は、案の定心底焦ったように顔を引き攣らせていた。

「そうだ」
「二人で一緒に…?」
「そうだと言っている。何だ、そんな驚いた顔をして。オレは今、そんなに変な事を言ったのか」
「いや…。そういう訳じゃねーけどさぁ…」
「そういう訳じゃないのなら、何なのだ」
「………。あのさぁ…海馬」
「何だ?」
「お前、それどういう意味で言ってるか、ちゃんと分かってる?」
「どういう意味とは?」
「オレ達はただの友達じゃないんだぜ? 恋人なんだよ」
「あぁ、そうだな」
「恋人が一緒に寝るという事がどういう事か…その意味を分かってるのかって訊いてるんだ」
「分かっているつもりだが…何か?」

 言外に性行為を示唆するような曖昧な会話に、つい恥ずかしくなって顔が熱くなる。けれど自分の意志を曲げるつもりは全く無かった。
 困ったように見詰めて来る城之内の視線を真っ直ぐに見返し、オレは自分に『覚悟』がある事を伝えようとする。
 城之内がオレに配慮している事は感じていた。だがそれでも、自分の決意を譲る事なんて出来ない。城之内がオレを好きでいてくれるのと同じくらい、オレだって城之内の事が好きだったのだ。

「城之内…。オレはお前から告白されるまで、男に対してこんな気持ちを抱く日が来るなんて想像した事も無かった」

 城之内…。お前の事が好きだからこそ、今こそオレの本音を伝えよう。
 そんな強い気持ちを抱きつつ、オレは城之内に対して口を開く。

「確かに…最初はお前からの気持ちの方が強かったとは思う。だが今は、オレの気持ちもお前と同等になっていると思うのだ」
「海馬…?」
「オレはもう覚悟を決めたんだ、城之内。お前に愛される事…そしてお前を愛する事。お前に全てを許す覚悟をしたんだ」
「っ………!!」
「お前が何を欲しがっているのかも…もう知っている。オレが間違っていなければ…こういう事なんだろう?」

 そう言って、隣に座っていた城之内の首に腕を絡め、そっとその身体を抱き締めた。途端に感じる高い熱。風呂上がりの薄いパジャマ越しに、城之内の熱がじんわりと伝わってくる。
 その熱をもっと味わいたくて身体をすり寄せれば、城之内の腕が背に回って強く抱き締めて来た。痛い程に抱き寄せられ、そして耳元で囁かれる。それは今まで聞いたことがないくらい、低く震える声だった。

「うん、まぁ…確かにオレが望んでいるのはこういう事なんだけどね。でもお前は本当にいいのか? 後戻りは出来ないぜ?」
「構わん。オレが望んでいるのもこういう事だ」
「てかさ、オレはお前を抱くつもりなんだけど…。それはつまり、お前が女役になるって事なんだけどさ…。それでもいいのか?」
「いい」
「いいって…そんな簡単に即答するような問題じゃないだろ。女役がどういう立場か知ってるのか?」
「知っている」
「男が男に抱かれるってどういう事か…本当に分かっているのか? どこを使うのかとか、ちゃんと知ってる?」
「どこ…?」
「ここだよ。お尻の穴」

 首を傾げたオレを見て嘆息しながら、城之内は背中を支えていた手を下ろしてオレの腰を撫で回した。そしてパジャマの上から尻の割れ目をつっとなぞる。
 途端にゾクゾクと背筋を走った感覚に、ブルリと身体を震わせた。それでも…何故か城之内から離れようとは思わなかった。目をギュッと瞑りながらも、更に強く城之内の身体を抱き締める。城之内がパジャマ代わりに来ているスウェットの生地を、緊張で汗ばんできた手でしっかりと握りしめた。

「分かるだろ? ここにオレのを挿れるんだ。怖くないの?」
「っ………」

 布地の上からオレの尻の割れ目をなぞりながら、城之内はハァ…と熱い息を吐き出した。心なしか、身体に力が入っているような気がする。

「怖くない筈…無いよな」

 城之内のその言葉に思わずビクリと反応してしまった。その震えが伝わった城之内はまるでオレを労るように、抱き締める腕の力を抜く。
 確かに…怖いとは思う。その手の知識が圧倒的に足りないオレは、自分が今からどんな事をされるのか全く理解していない。想像する事も出来ないような事が待ち受けている事実に、心が恐怖を感じているのは確かだった。
 けれど今のオレにとっては、後から後悔する事の方が怖いと感じていたのだ。
 もうあの冷たい世界には帰りたくない…っ!

「怖い…」

 思っている事を素直に伝える。「やっぱり」という感じの表情をした城之内に、だがオレは首を振ってみせた。

「だが…止めようとは思わない。後悔だけはしたくないのだ」
「海馬…?」
「お前が好きだから…後悔したく無い。分かるか…城之内。オレはお前が好きなんだ」

 未知の恐怖に身体が震える。それでも真っ直ぐに琥珀の瞳を見詰め続けた。城之内はそんなオレの視線を真っ向から受けて微動だにしない。だが暫くして…抱き締めていたオレを引き寄せて唇を合わせられた。
 十日前のあの時と同じように、ぬるりと入り込む熱い舌。クチュクチュとやらしい水音を起てながら、それはオレの口内で縦横無尽に暴れ回る。

「んぅっ………!!」

 息も吐かせぬような激しいキスに、それでもオレは抵抗しなかった。どうやって応えたら良いか分からない。ただ城之内の舌に促されるままに、触れた舌を夢中で絡めた。
 暫くして、ようやっと城之内がオレから離れた時には、お互いに顔を真っ赤にしていた。舌と舌の先がトロリとした唾液の糸で繋がっている。それを指先で拭いながら、城之内は真剣な顔をしてオレの事を見詰めて来た。

「本当に…いいの?」

 城之内の言葉は震えている。息も上がって二人分の呼吸音がやけに煩く聞こえるような気がする。オレも自分口元を袖口で拭いながら、コクリと一つ頷いた。

「しつこいぞ。良いと言っている」
「多分…滅茶苦茶痛いぜ?」
「そんなもの…最初から覚悟してる」
「なるべく優しくするつもりだけど…。でもオレも男を抱くのは初めてだから、気持ち良くはなれないかもしれない」
「それでも良い」
「でも…」
「城之内!! オレが良いって言っているんだ!! 早くしろ!!」

 まだしつこく何かを言いかける城之内の言葉を無理矢理遮って、オレは大声を出して会話を無理矢理終わらせた。多少強引だとは思ったが、これ以上うだうだされたら此方の方の覚悟が崩れそうな予感がしたのだ。

「ベ…ベッドに行くぞ!!」

 恥ずかし紛れに大声で言い放ってその場ですっくと立ち上がったら、城之内は一瞬キョトンとした表情でオレの事を見上げていた。何度かパチパチと瞬きをしていたのだが、数秒後には「うん」と頷いて嬉しそうに笑って立ち上がる。そして緊張で硬くなっているオレの手を引いて、共に寝室まで歩いて行ったのだ。



 数日前には風邪の看病をされていたベッドで、オレはその夜、城之内と一つになった。
 はっきり言えば物凄く痛かったし、苦しかったし、辛かったので、今後暫くはセックスなんて御免だと思う。でもだからと言って後悔しているのかと言うと、そういう事でも無いのだ。
 強く抱かれれば抱かれる程、城之内の優しさが感じられるのだ。身体は辛いが心が幸せで満たされていくのが分かる。時間が経つに連れて感覚が麻痺してきたのか、苦痛の中に快感が入り交じり、気が付いたら泣きながら喘いで城之内にしがみ付いていた。
 前戯から果ては後戯まで何度も射精させられ、最終的には気を失う形で眠りに就いたらしい。

「城之内…?」

 夜明け前、ふと目を覚ました。まだ薄暗い部屋の中、城之内の腕の中で目を開ける。
 身体は辛かった。少し身動きをしただけでも、身体の至る所がギシギシと軋んでいるようだ。それでも幸せだった。後悔なんて微塵も感じなかった。
 規則正しく上下する城之内の胸に頬をすり寄せ、一瞬だけ…あの冷たい世界を思い出す。
 城之内のいない悪夢の世界。あの世界のオレは、あの後記憶を取り戻したのだろうか? 城之内が死んでしまっている事を…思い出してしまったのだろうか? そして城之内にそっくりなゴールデンレトリバーを、愛しい人の代わりに今も抱き締めているのだろうか?
 悲しい…余りにも悲し過ぎる世界。

 そんな悲しい世界は、消え去ってしまえばいい…っ!!

 城之内の温かな熱で再び眠りに落ちそうになりながら、心の中で強くそう思った…。



 それから数日後。オレと城之内は今まで以上に恋人として幸せに暮らしている。
 あの日の朝、城之内の腕の中で強く願ったあの想いが通じたのだろうか。次に目覚めた時には、オレはあの冷たい世界の事を殆ど覚えていなかった。日々少しずつ記憶が薄れ、今も抽象的な感覚しか思い出せない。
 少し残念な気もするが、これで良いんだと思う。あんな悲しい世界は消えるのが一番良いのだ。

「………?」

 スーツの内ポケットに入れてあった携帯が震えて、メールの着信を報せて来た。取り出してフリップを開ければ、液晶画面に『城之内克也』という文字が浮かび上がっている。

『仕事ご苦労さん。今日泊まりに行ってもいい?』

 簡潔で分かりやすいメールに思わず苦笑しつつも、承諾した旨の返信メールを打ち込んで送信する。送信ボタンを押して視線を上げれば、窓ガラスに映った自分の顔が想像以上に幸せそうに微笑んでいるのが目に入った。
 城之内が居る幸せな世界。それがオレの生きる世界だ。

「オレはここにいる。さよならだ」

 頭の片隅で完全に消えていこうとするあの冷たい世界に別れを告げて、オレはメールの送信が終わった携帯のフリップを閉じた。